千葉地方裁判所 昭和40年(ワ)128号 判決 1968年8月14日
原告 山本秋子外三名
被告 社団法人全国社会保険協会連合会
主文
一 原告らの停職処分の無効確認を求める訴えをいずれも却下する。
二 原告山本、同倉持の、同原告らが社会保険病院松籟荘主任看護婦の職務にあることの確認を求める訴えをいずれも却下する。
三 原告瀬出井、同佐藤は昭和四〇年二月三日付の、原告倉持は同月一一日付の各停職処分により停職となつたものでない、右松籟荘の職員の身分を有することを確認する。
四 原告山本の、同原告が昭和四〇年二月三日付の停職処分により停職となつたものでない、右松籟荘の職員の身分を有することの確認を求める請求を棄却する。
五 原告らの、昇給の意思表示を求める請求をいずれも棄却する。
六 被告は
原告瀬出井に対し、四万八、七二二円および内金一万七、七八四円に対する昭和四〇年二月二六日より、内金一万七、七八四円に対する同年三月二六日より、内金一万〇、六七一円に対する同年四月二六日より、内金二、四八三円に対する昭和四一年一〇月一日より各完済にいたるまで年五分の割合による金員を
原告佐藤に対し、五万三、八〇九円および内金一万九、四一六円に対する昭和四〇年二月二六日より、内金一万九、四一六円に対する同年三月二六日より、内金一万二、三九二円に対する同年四月二六日より、内金二、五八五円に対する昭和四一年一〇月一日より各完済にいたるまで年五分の割合による金員を
原告倉持に対し、一一万八、二五〇円および内金三万〇、一八四円に対する昭和四〇年二月二六日より、内金三万九、七〇八円に対する同年三月二六日より、内金三万九、七〇八円に対する同年四月二六日より、内金三、一四九円に対する同年五月二六日より、内金五、五〇一円に対する昭和四一年一〇月一日より各完済にいたるまで年五分の割合による金員を、
それぞれ支払え。
七 原告瀬出井、同佐藤、同倉持のその余の金員の請求および原告山本の金員の請求をいずれも棄却する。
八 訴訟費用中、原告山本と被告との間に生じた分は同原告の負担とし、その余はこれを五分し、その四を被告の負担とし、その一を原告瀬出井、同佐藤、同倉持の負担とする。
九 この判決は第六項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
「(一)
1 主位的請求
被告が原告山本秋子、同瀬出井栄子、同佐藤美智子に対して昭和四〇年二月三日付でなした各七五日間の停職処分および原告倉持佳子に対して同年同月一一日付でなした八〇日間の停職処分がいずれも無効であることを確認する。
2 予備的請求
原告山本、同瀬出井、同佐藤が昭和四〇年二月三日付の各七五日間の停職処分により停職となつたものでない同病院の職員たる身分を有すること、原告倉持が同年同月一一日付の八〇日間の停職処分により停職となつたものでない同病院の職員たる身分を有することを確認する。
(二) 被告は、
1 原告山本に対し、昭和四一年一月一日付で健康保険病院職員給与規程看護職員俸給表三等級一四号俸相当基準から同等級一五号俸相当基準に、昭和四二年一月一日付で同等級同号俸相当基準から同等級一六号俸相当基準に、
2 原告瀬出井に対し、昭和四〇年七月一日付で前記俸給表四等級三号俸相当基準から同等級四号俸相当基準に、昭和四一年七月一日付で同等級同号俸相当基準から同等級五号俸相当基準に、
3 原告佐藤に対し、昭和四一年一月一日付で前記俸給表四等級四号俸相当基準から同等級五号俸相当基準に、昭和四二年一月一日付で同等級同号俸相当基準から同等級六号俸相当基準に、
4 原告倉持に対し、昭和四一年一月一日付で前記俸給表三等級一四号俸相当基準から同等級一五号俸相当基準に、昭和四二年一月一日付で同等級同号俸相当基準から同等級一六号俸相当基準に、
本俸を昇給する旨の各意思表示をせよ。
(三) 原告山本、同倉持が松籟荘病院主任看護婦の職務にあることを確認する。
(四) 被告は、
原告山本に対し一六万五、三九七円、同瀬出井に対し六万三、二四三円、同佐藤に対し六万五、二八五円、同倉持に対し一六万六、四六八円および、別紙差額金計算表記載の毎月別合計差額金につき、それぞれ該当月の二六日以降支払い済みに至るまで、同表記載の夏期一時金差額金につき昭和四一年一〇月一日以降支払い済みに至るまで、当該原告に対し各年五分の割合による金員を支払え。
(五) 訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決ならびに(四)につき仮執行の宣言。
二 被告
「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。
第二当事者の主張
一 原告ら
(請求原因)
(停職処分の無効確認請求等)
(一) 原告山本秋子は昭和二八年四月、同倉持佳子は同年五月一日いずれも看護婦として、同佐藤美智子は昭和三七年一月五日、同瀬出井栄子は同年六月四日いずれも準看護婦として結核治療を専門とする社会保険病院松籟荘(以下松籟荘病院または病院と略称)の職員に採用されて現在に至り、原告山本は昭和三五年二月、原告倉持は昭和三七年二月主任看護婦となつた者であつて、原告らはいずれも松籟荘病院労働組合(以下労働組合という。)に所属し、組合員として活動していた。
被告は昭和三三年九月東京都から松籟荘病院の経営委託を受け、爾来病院の経営者として病院職員の人事を管理掌握し、職員に対する給与支払いの義務を負担するものである。
(二) ところが、被告は病院長事務取扱山口寛人をして、原告らに、松籟荘病院就業規則(以下就業規則という。)第五三条第一号、第二号(一、法令、この規則その他病院の諸規程に違反したとき。二、職務上の義務に違反し、又は職務を怠つたとき。」)所定の懲戒事由に該当する所為ありとして、昭和四〇年二月二日原告山本、同瀬出井、同佐藤に対し同月三日付の辞令をそれぞれ交付せしめて同日以降七五日間の各停職を命じ、同月一一日原告倉持に対し、同日付辞令を交付せしめて同日以後八〇日間の停職を命じた。
(三) しかし、被告の原告らに対しなした前記停職処分は次の理由により効力を生じないものである。
1 被告は就業規則に依拠して原告らを停職処分に付したのであるが、就業規則は次の理由により有効に成立せず、原告らに対し拘束力を有しないから、停職処分は無効である。
(A) 被告は就業規則の作成について、事業場の過半数の労働者で組織する労働組合または労働者の過半数を代表する者の意見を聴いておらず、また、常時、作業場である病院内の見易い場所に掲示あるいは備え付けるなどして職員に周知させる措置を採つていないから就業規則は無効である。
(B) 就業規則の作成変更については、その案文を労働組合に提示し、団交事項として、問題点を逐一審議のうえなす旨の労使間の協定があつたのにも拘らず、被告はこれを無視して昭和三八年三月二九日第八回団体交渉の際、一方的に審議を中途で打ち切り、同年四月一日から就業規則を実施する旨を宣言した。したがつて就業規則は右協定に違反して作成された無効なものである。
(C) 仮に、就業規則が有効に成立したとしても右懲戒に関する規定(第五三条ないし第五五条)は、労働協約の規定(第二二条ないし第二六条、第二九条ないし第三一条)および右協約附属の賞罰委員会規則に抵触し無効である。
(イ) 被告と労働組合とは昭和三四年七月従来からの協定を集大成して労働協約を締結し、爾来右協約は数次の改訂を経たが、被告は昭和三七年三月末の有効期限が切迫した同年二月二八日協約第一四九条第一項に基づき次期協約につき改訂の申入れをなしたが、団体交渉が行なわれず、次期協約は成立しなかつた。このような場合、第一四二条の文言によれば協約は期限後二か月目である同年五月三〇日の経過をもつて失効すると解されないでもないが、次の事情があるので、被告の改訂申入れは効力を生じないか、撤回されたものと解すべきである。
(a) 右改訂申入れは単に「次期協約については労働協約第一四一条第一項に基づき改訂したいので為念申し添えます。」という趣旨のものであるが、第一四〇条第二項は「協約改訂の申入れは、書面を以つて改訂事項及び理由を相手方に通告しなければならない」と定めているので、右は協約改訂の申入れとは認められないから同条第二項により右協約は一年間自動的に延長されたことになる。仮にそれが改訂申入れとして有効であるとしても、その後被告からは次期協約につきなんら具体的な申入れもなく、一回も労使間で協議がなされていないから、被告は暗黙裡に改訂申入れを撤回したものである。
(b) 労働組合は被告と昭和三七年五月一七日「労働協約の一部を改訂する協定」を結んだが、右協定は協約所定の給与改訂に関するもので、協約の存続を前提としているものであるから、右協定締結によつて、被告は協約改訂の申入れを撤回したものである。
(c) 被告は、就業規則が実施された日の前日である昭和三八年三月三一日までは、毎月の職員の給与を労働協約の定めに従つて支給し、昭和三七年夏期一時金も協約所定の給与を基準として計算のうえ支給し、同年九月右給与に則つて給与の不均衡是正を実施し、労働協約第八章第一節の規定に基づき、昭和三七年一一月二一日労働組合に対し労使協議会開催の申入れをなしたが、これらによつても被告が協約の存続を肯認していたことが明らかである。
以上の如く、被告のなした協約改訂の申入れは無効ないしは撤回されたものであり、昭和三七年末頃まで被告は協約の有効性につき疑いをもたず、これが失効した旨の表明をしていない。そして、被告はその後所定の手続による協約改訂の申入れをしていないから、前記協約は第一四一条第二項により毎年自動的に更新を繰り返し、現在も有効に存続しているものである。
(ロ) 協約第三一条第四号は懲戒の種類の一として出勤停止を定め、第二六条の委任に基づき懲戒の基準を定めた賞罰委員会規則第六条第四号は出勤停止につき「譴責を加え、一〇日以内の期間において出勤を停止し、その期間の賃金を支払わない。」旨規定している。ところが懲戒の種類および内容を定めた就業規則第五四条第一項第四号は「三月以内の停職、当該期間中の給与を支給しない」と規定し、就業規則所定の停職の内容は期間の点において職員に不利益に変更されていることが明らかであるから、就業規則の右規定は協約および賞罰委員会規則に抵触し無効である。
(ハ) 次に、懲戒の手続につき協約第二五条は「組合員の賞罰はすべて荘長又は組合長の要請に基づき、賞罰委員会の議を経て荘長が行なう。」と規定し、同委員会規則第七条は「組合員の懲罰について荘、組合間に意見がととのわないときは、これを団体交渉に移して協議するものとする。」と定め、職員を不当な懲戒から守る手続を定めているのに反し、就業規則第五五条第一項は「病院長は地方懲戒委員会の審査に付し、その結果を勘案して懲戒を行なう。」旨規定しているが、その施行細則である健康保険病院職員懲戒委員会規程をみると、賞罰委員会規則ほど職員の利益を保護する規定を置いていないから、就業規則の右規定は労働協約に抵触し、無効である。
(D) 仮に、労働協約が昭和三八年五月三〇日の経過により、失効したとしても、その余後効として、あるいは協約に定められた労働組合員の労働条件その他待遇に関する事項が個別的労働契約にとり入れられたことにより、個々の組合員の既得の権利ないし利益となつているので、組合員の労働条件その他の待遇を不利益に変更するのには、その同意を必要とし使用者が一方的に就業規則を作成して、職員を規制し、拘束することはできず、この理は懲戒規定についてもあてはまるのである。したがつて、原告らの属する労働組合の同意なくして制定された就業規則の懲戒規定は原告らに対し効力を有しないことは明らかである。
2 右停職処分は原告ら四名が労働組合員であることの故をもつてなした不利益な取扱いであるから、労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為に該当し、無効である。
(A) 被告は前記のように東京都より病院の経営を委託されたが、昭和三七年末ごろより病床の削減、病棟の縮少を企て、これに対する労働組合の反対を抑制し、組合の弱体化を計ろうとして労働協約および労使慣行を一方的に破棄あるいは無視し、計画的に組合に対し数々の攻撃と弾圧を加え不当労働行為を重ねてきた。そこで組合は千葉県地方労働委員会に救済申立(同委員会昭和三八年(不)第一号、第三号)をなし、同委員会は被告の行為の殆んどを不当労働行為と認定して救済命令を発した。被告は状勢が不利となつたので戦術を変え、個別的に組合員を病院から放逐することを図り、その先鞭として昭和三九年八月組合の指導的地位にあつた医師太田茂男を榛名病棟閉鎖問題の責任に結び付けて不当に解雇し、さらに同年七月ごろ第二組合である職員組合が結成されるやこれに力を得、労働組合員に対し、定期昇給、給与改訂、夏期及び冬期の一時金の支給その他につき差別的取扱をなし、その間に病棟閉鎖を着々と実行に移した。
(B) 昭和四〇年一月二〇日午後四時ごろ、被告は同病院総婦長野口サトを通じて一方的に原告瀬出井に対し、同月二五日以降その所属の高尾病棟から榛名病棟へ勤務替えする旨の配置転換を命じ、高尾病棟の主任看護婦である原告山本以下同病棟所属の看護婦の出方を眺め、原告瀬出井が配転命令に応ずると見るや、引き続き、翌同月二一日午前一〇時ごろ、原告佐藤に対し、同月二五日以降その所属の高尾病棟から外科下病棟へ勤務替えする旨の配置転換を命じ、同月二二日原告山本に対し高尾病棟に残る同原告、主任看護婦山本まき、看護婦渡辺添子の三人による同病棟の同月二五日以降一週間分の勤務予定表の作成を命じた。
(C) ところで病院の看護婦は日勤(午前八時三〇分から午後五時まで)、早番(午前六時三〇分から午後三時まで)、遅番(午前九時三〇分から午後六時まで)、夜勤(夜間の仮眠時間を挾んで午後四時から午後一〇時三〇分までと翌朝午前六時から午前八時三〇分までの通し勤務を三日連続する)の四形態の勤務を交替で行なつていたが、当時山本まきは病弱で、化学療法を受けながら勤務し、早番、夜勤を免除されており、渡辺は昭和三九年暮に結婚したばかりで早番夜勤が頻繁に続くようでは新婚の家庭生活が犠牲になるおそれがあり、また、原告山本は病弱な両親と二人の子を養育しながら夫と共稼ぎしているうえに、交通機関の始発時間の関係で早朝自宅から早番に間に合うよう出勤することが不可能な状態であつた。したがつて、高尾病棟の早番、夜勤は独身である原告瀬出井、同佐藤が右事情を了解して、適宜交代して勤務していた。
(D) かかる状況において、原告瀬出井、同佐藤が勤務替えし、原告山本が渡辺と共に二人で同病棟の早番、夜勤を担当しなければならないことになると、右両名に多大の労働強化をもたらし、同原告は家庭を犠牲にして病院勤務を続けるか、家庭を守るために職を辞するかのいずれかを選ばねばならない窮地におち入る一方、同病棟の患者の療養に悪影響をもたらし、医療の破壊を招来する。
(E) 右のように、右配転命令は同病棟の看護体制を全く無視した不合理なものであつたので、一月二二日午前中原告山本ら同病棟所属の看護婦全員は、共同して夜勤をする予定の清澄病棟上の大竹主任看護婦らを交えて総婦長野口と面談し、配転命令につき再考を促がし、高尾病棟の勤務編成には最低看護婦四名を必要とするから同病棟からの看護婦の配転は一名にとどめ、他の一名は人員に余裕のある外来診療室(以下外来と略称)その他から配転するよう要請したが聴き容れず、翌二三日高尾病棟に残る三名の看護婦による編成の勤務予定表を一方的に作成してその履行を強要し、原告山本に対し早番、夜勤を命じ、同月二五日の団体交渉における労働組合の右と同旨の申入れに対しても、右野口ら被告の職制はただ「三人でできる、命令だ」と言い張るだけで、配転命令を撤回しなかつた。原告山本はこの命令に従つて勤務するためには、家庭を看てもらう手伝が必要になるので、田舎から伯母を呼んで来るから準備のため十日ないし一週間程休暇がほしいと休暇願を提出したが拒絶され、前記の勤務予定表に従つて直ちに勤務するよう命令された。
(F) そして、遂に被告は二月二日原告瀬出井、同佐藤、同山本に対し配転命令に応ぜず、またそれを阻止したとして、前記停職処分をなした。
(G) 被告は、前述のように外来からの配転を求める原告山本らの提案に耳を藉さなかつたのにも拘らず、二月二日早朝同原告らの懲戒に先立ち、急遽、外来勤務の中村看護婦に対し榛名病棟への配転を命じた。
(H) さらに被告は原告山本ら三名を懲戒に付するや、同日野口を通じて外来の主任看護婦であつた原告倉持に対し、原告山本の後任として翌三日から高尾病棟主任看護婦として勤務するよう配転を命じた。その配転命令に応ずることは、原告山本が同病棟主任看護婦として復職するのを阻害することとなるので、原告山本と一二年間も共に働きかつ、同一の労働組合に所属する原告倉持としては同原告の後任として勤務するのに堪え難きものがあり、そのうえ被告の同原告らに対する懲戒理由に納得のゆかぬものであり、高尾病棟にはもう一人主任看護婦山本まきもいたので、同月五日前記野口に対し、同原告が復職するまでの間応援として同病棟に勤務替えして呉れるよう申入れたが、同人はこれを聞き入れず、配転命令に応ずるよう命じ、また、病院事務長代理渡辺孝は原告倉持に対し、原告山本ら処分を受けた看護婦が就労しようとして高尾病棟に入ろうとしたら阻止するか、職制に通報するかして協力するよう命じ、もし右措置を怠れば責任を追及する旨警告し、しかも、原告倉持が労働組合と病院との間の板挾みになり苦悶しているのを察知すると、すかさず職制を通じて組合から脱退するよう使嗾した。そして被告は同月一一日同原告に対し配転命令に応じないものとして前記停職処分をなしたのである。
(I) 従来病院における看護婦の配置替えは、病棟及び外来を通じて、主任は一年毎、一般看護婦は三月毎に一斉に実施されており、当時、主任については昭和三九年一一月一日頃、一般看護婦については同月二四日頃一斉交替が行なわれたばかりである。そして慣行として一斉交替までの人員不足の補充等は総婦長が関係病棟の主任看護婦の意見を聴き、その同意を得たうえ応援を出して調整していたのである。それなのに被告は間近かに迫つた二月下旬の一斉交替の時期を待たず、しかも、従来の慣行を無視して事前に主任看護婦の意見を求めないばかりか、その異議にも耳を藉さずに原告瀬出井、同佐藤の配転を発令したのである。のみならず、それは現場に精通しない事務職員の机上の計算に基づく配転で、看護体制の実情を看過した不合理なものである。現に、同原告ら両名の配転命令後に、野口総婦長の作成した勤務予定表は、それに従えば高尾病棟には看護婦が一名も居ない空白時間を生じるような無理なもので、患者に対する医療看護を破壊するおそれのあるものであつた。
(J) 以上の如くであつて、原告瀬出井、同佐藤に対する配転命令は、高尾病棟に残る原告山本らに対し労働組合員であることの故に、過酷な勤務を強いようとするものであり、また原告倉持に対する配転命令は同原告を高尾病棟主任看護婦の職に就かせることにより他の原告らと感情的に衝突させ、同原告を組合から脱退させることを狙うものであつた。そして右不当な配転命令に従わなかつたとしてなした原告ら四名に対する停職処分は、原告らが組合員であることの故をもつて、殊更に不利益な取扱いをなし、原告らが組合を脱退し、組合の勢力を衰退させることを意図した不当労働行為である。
(K) 被告が原告ら組合員を差別的に不利益に取扱おうとする不当労働行為意思は、その後に被告が行なつた保清婦の職種変えからも明白に推測されうる。すなわち、
被告は、昭和四〇年三月保清婦九名のうち、労働組合員である五名を除き、職員組合員三名および非組合員一名を看護助手として看護科勤務に職種替えし、残りの五名の保清婦に対しては無期限に病棟の便所掃除専門というが如き劣悪な労働内容の勤務を課し、それに耐え切れずに退職を余儀なくされた組合員もあつた。
3 また、原告ら四名に対する右停職処分は、原告らが正当な労働組合活動をしたことの故をもつてなした不利益な取扱いであるから、労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為に該当し、無効である。すなわち、
(A) 労働組合は、原告瀬出井と佐藤に対する配転命令が高尾病棟に残る原告山本らの労働強化をもたらして労働条件を低下させ、同原告らの家庭生活を破壊するものであるのみならず、病棟閉鎖、病院の規模の縮少につながるものであることを察知し、職場および医療看護を破壊するものであることが明らかとなつたので、一月二二日原告山本らに対し配転命令の阻止行動に出るよう指示し、同月二五日職場大会を開き、配転命令に反対し、同原告らを支援する体制を採ることに決定し、同日病院長に抗議文を手交し、同日、同月二七日、二月一日三回にわたり被告に団体交渉を申入れて高尾病棟からの配転を一名にとどめ、他の一人は外来その他から配転するよう交渉した。
(B) しかし、被告は組合の再三の抗議にも拘らず、看護婦の配転は組合の関与し得ない人事権の行使であるとして配転命令の撤回を頑強に拒否した。これに対し、組合は、たとえ、右配転が人事権の行使であるとしても、それにより原告山本らの労働条件に影響を及ぼす以上、労使間の団交事項になるとして同原告らの労働契約上および生活上の利益を護るため、看護体制の実状を無視した配転命令の是正を求める方針を堅持した。一方、看護婦三〇名は一月二五日野口総婦長に対し原告瀬出井らの配転につき説明を求めて看護婦総会の開催を求めたが、同人はこれを拒絶した。
(C) そして、二月二日原告倉持が配転命令を受けたので、組合は同日夕刻職場大会を開き、右配転に反対することに決し、同月五日の臨時組合大会で、原告山本、同瀬出井、同佐藤に対する停職処分の撤回、原告倉持に対する配転命令の撤回その他被告のなす今後一切の不当処分に反対するため、スト権を確立した。
(D) 原告ら四名は労働組合の指示に従つて配転命令に従わず、これを拒否したのであり、右配転には合理性がなく、病棟閉鎖、医療破壊に繋がるものと判断してなした組合の右指示は正当であるから、その指示に従つて採つた原告らの行為は正当な組合活動である。被告はこれらの行為をとらえて業務命令違反、業務妨害であるとして停職処分に付したものであるから、それは原告らが正当な組合活動をなした故をもつて、不利益な取扱いをなしたものであることが明らかであり、停職処分は不当労働行為に該当するというべきである。
4 仮に、右各主張が認められないとしても、原告ら四名が被告の配転命令、勤務命令に応じなかつたのは前記2の(C)ないし(E)、(H)ないし(J)に記述した事情によるものであるから、原告らの命令不遵守には正当な理由があり、原告らが従前の職場で就労したことがなんら看護業務の阻害にもならず、職務上の義務違反ないし職務懈怠にも該らないから、原告らの行為は懲戒事由に該当しない。また、仮に、原告らの行為が懲戒事由に該当するとしても、原告らが命令に従わなかつたのは、前記の事情により已むを得ずそうしたのであるから、軽微な命令違反であり、これに対し、制裁として長期の停職処分に処するのは原告らに必要以上の経済的精神的苦痛を与えるものであつて、懲戒権の濫用である。このことは被告が主として職制をもつて構成する地方懲戒委員会を急遽招集し、原告らの弁解を聴かず、形式的に審査を経たにすぎず、始めから結論が出ていたとみられる事情からも明らかである。したがつて停職処分は無効である。
(四) よつて、原告らは請求の趣旨(一)の1記載の各停職処分の無効確認、仮に右請求が認められない場合には、同(一)の2記載の停職処分を受けたことがない病院の職員であることの確認を求める。
なお、原告らは以下記載の理由により停職処分の無効確認を求める訴えの利益を有する。
1 原告らは停職処分を受けた事実が存する限り、勤務成績を過少に評価されることは必定であるから、右処分後に行なわれるべき定期昇給および勤勉手当(夏期、冬期一時金)の判定において不利益な取扱いを受けることは明らかである。
2 右の不利益な取扱いを受ける度毎にこれに対する救済を求めることは概念的には不可能ではないが、煩瑣に耐えない。現に、原告らは過去において停職処分を受けたことにより、退職に至るまで一号俸ずつ定期昇給を延伸され、これに伴つて本俸を基準にして算定される調整額、暫定手当等の諸手当についても不利益な取扱いを受けている。そして予測し得るすべての不利益を将来の給付の訴えにより請求することは到底不可能である。
3 したがつて、停職処分の無効確認の訴えは単に停職処分という過去の事実を請求の対象としているのではなく、過去において停職処分を受けたことから雇傭関係上、原告らが将来受けるであろう各種の不利益を抜本的に除去し、原告らの安定した法的地位を確定する意味において確認の利益がある。
(昇給の意思表示を求める請求)
(一) 停職処分当時の原告らの基本給(本俸)は、原告山本が月額三一、九〇〇円、原告瀬出井が月額一四、七〇〇円、原告佐藤が月額一五、三〇〇円、原告倉持が月額三一、九〇〇円であり、原告山本、同佐藤、同倉持は昭和四一年一月一日、原告瀬出井は昭和四〇年七月一日定期昇給の時期であつたが、いずれも昇給が行なわれず、一年間延伸された。
(二) 病院における職員の定期昇給は、毎年一回、一月、四月、七月、一〇月の昇給期に行なわれ、昇給該当者は昇給期に常に昇給し、いまだかつて昇給を延伸された者はなく、年一回の定期昇給の実施は長年慣行として行なわれ労使間の規範となつていたものであつて、原告らは昇給期に昇給を受ける権利を有するものである。それを被告は、原告らが停職処分に付されたことを理由として昇給させなかつたものであつて、右はまぎれもなく懲戒処分である。
しかし、前記の如く、停職処分は無効であるから、そのことを理由としてなした昇給延伸の懲戒処分が無効であることは明白である。のみならず、被告の立場に立つても、右処分は就業規則に定める手続を踏まなければならないのに、所定の手続を経ずになした不法なものであり、また就業規則の一部である健康保険病院職員給与規程(以下給与規程という)には懲戒処分を受けた者を昇給させないことを定めた規定はない。
(三) 前述の如く、就業規則したがつて給与規程は無効なものであり、労働組合はその効力を争つてきたのであるが、給与については昭和三八年以降被告は給与規程に基づいて支給し、原告ら組合員はこれを受領してきた。これは、給与につき正式の協定が成立するまで暫定的に給与規程の定めに準拠して支給することの暗黙の合意が病院と原告ら組合員との間に成立していたからであり、そうでないとしても、病院と労働組合は昭和三九年三月二五日「(1)病院側は就業規則の存在を主張する。(2)今後の労働時間は昭和三八年九月三〇日現在の状態で行う。(3)労働時間に関する賃金カツトは今後行わない」との覚書を取り交したが、右は給与については給与規程によることを前提とするものであるから、これによつて労働組合員の給与は給与規程の基準によることの合意が成立したものである。
したがつて、定期昇給は給与規程の定めによつて行なわれるべきところ、原告らは前記の日にそれぞれ昇給期に達していたので、被告は当然原告らを昇給させなければならないのである。そして原告らの前記基本給額は原告山本が給与規程の第三等級一四号俸に、原告瀬出井がその第四等級三号俸に、原告佐藤がその第四等級四号俸に、原告倉持がその第三等級一四号俸にそれぞれ相当するから、被告は請求の趣旨第二項掲記の日に原告らをそれぞれその掲記の号俸に相当する給与額に昇給させる義務がある。
(主任看護婦の職務にあることの確認請求)
前記のように、原告山本は昭和四〇年四月一九日、原告倉持は同年五月二日復職したが、復職と同時に停職処分を受けたことを理由に主任看護婦を解任され、以来月額一、〇〇〇円の職務手当の支給を受けていない。主任の解任およびこれに伴う職務手当の不支給は懲戒処分というべきところ、右処分は同原告らが停職処分を受けたことを理由になしたものであるから、停職処分が無効である以上右処分も無効である。のみならず、被告は昇給延伸の処分と同様就業規則所定の懲戒手続をふまずに全く一方的に主任の資格を剥奪し、職務手当の支給をしない処置に出たのであつて、この点からも右処分が無効であることは明らかである。
(未払給与の請求等)
原告らは、停職期間中の給与の支払いを受けず、停職処分を受けたため、昇給延伸処分、職務手当剥奪処分等の不利益を蒙り、左記金額の支給を受けていないので、その請求をする。
(一) 原告山本秋子 一六万五、三九七円
(1) 調整額、職務手当以外の復職までの未払分 九万九、九二六円
(イ) 本俸 八万〇、三八八円(当時の本俸三等級一四号三万一、九〇〇円)
昭和四〇年二月分 二万九、三四八円
三月分 三万一、九〇〇円
四月分 一万九、一四〇円
(ロ) 暫定手当 五、二四二円(三等級一四号二、〇八〇円)
昭和四〇年二月分 一、九一四円
三月分 二、〇八〇円
四月分 一、二四八円
(ハ) 通勤手当 二、二六八円(一月九〇〇円)
昭和四〇年二月分 八二八円
三月分 九〇〇円
四月分 五四〇円
(ニ) 一律給 一、二六〇円(一月五〇〇円)
昭和四〇年二月分 四六〇円
三月分 五〇〇円
四月分 三〇〇円
(2) 昭和四一年一月分から同年一二月分までの定期昇給延伸による未払金 一万〇、〇八〇円
(イ) 本俸 九、六〇〇円
(ロ) 暫定手当 四八〇円
原告山本は昭和四一年一月一日定期昇給により本俸が三等級一四号三万一、九〇〇円から同等級一五号三万二、七〇〇円に昇給し、これに伴つて暫定手当も三等級一四号二、〇八〇円から同等級一五号二、一二〇円に昇給すべきところ、停職処分を受けたことを理由に一年間昇給を延伸されたので、本俸および暫定手当において右差額が生じた。
(3) 調整額 三万七、八〇二円
(イ) 昭和四〇年二月分 三、六二二円
三月分 三、八二八円
原告山本は調整額として本俸の一二パーセント月額金三、八二八円を支給されていたところ、昭和四〇年二月は金三〇六円の支給を受けただけであり、三月は全然支給されなかつた。
(ロ) 同年四月分 三、三一八円
原告山本は同年四月一八日までは調整額の支給を受けず、同月一九日復職したが医事課に配転されて、同日から調整額が本俸の四パーセントに減額され、同月は五一〇円の支給を受けたにとどまるから、右差額が生じた。
(ハ) 同年五月分から同年一二月分までの本俸の四パーセントに減額されたことによる差額金 二万〇、四一六円(毎月二、五五二円)
(ニ) 昭和四一年一月および二月分 五、二九六円(各月二、六四八円)
原告は同年一月一日前記のように昇給すべきところ、昇給を延伸されたうえ、据置の本俸の四パーセントの金額しか支給されなかつたので、右差額が生じた。
(ホ) 昭和四一年三月分 五五八円
原告山本は同年三月七日病棟勤務に戻され、調整額は本俸の一二パーセントに戻つたが、その前日までは四パーセントの支給にとどまり、かつ、据置かれた本俸を基準としたので右差額が生じた。
(ヘ) 同年四月分から一二月分まで右基準によつて算定されたことによる差額金 八六四円(毎月九六円)
(4) 職務手当 二万二、九二〇円(昭和四〇年二月分の未払金八〇〇円と同年三月より昭和四一年一二月までの分)
原告山本は主任看護婦として一月一、〇〇〇円の支給を受けていたところ、昭和四〇年二月分として八〇円の支給を受けただけで、停職期間中その支給を受けず、同年四月一九日復職と同時に主任としての職務を解かれ右手当を支給されなくなつたが、前述の如く、主任の解任および主任手当の不支給処置は無効な懲戒処分であるから、被告は右手当を支給すべき義務がある。
(5) 夏期一時金 五、四三七円
昭和四〇年夏期一時金につき、千葉地方裁判所における和解により他の労働組合員は昭和四一年九月三〇日本俸、暫定手当、扶養手当の月額合計の四割の支給を受けたが、原告山本は停職処分を受けたことを理由に右四割の額の六割の支給を受けたに止まり右差額が生じた。しかし、停職処分は無効なものであるから、他の労働組合員と同じ割合の金額が支払われるべきである。
(二) 瀬出井栄子 六万三、二四三円
(1) 復職までの未払分 四万六、二三九円
(イ) 本俸 三万八、二二〇円(当時の本俸四等級三号一万四、七〇〇円)
昭和四〇年二月分 一万四、七〇〇円
三月分 一万四、七〇〇円
四月分 八、八二〇円
(ロ) 暫定手当 二、一三二円(四等級三号八二〇円)
昭和四〇年二月分 八二〇円
三月分 八二〇円
四月分 四九二円
(ハ) 調整額 四、五八七円(本俸の一二パーセント一月一、七六四円)
昭和四〇年二月分 一、七六四円
三月分 一、七六四円
四月分 一、〇五九円
(ニ) 一律給 一、三〇〇円(一月五〇〇円)
昭和四〇年二月分 五〇〇円
三月分 五〇〇円
四月分 三〇〇円
(2) 昭和四〇年七月分から昭和四一年六月分までの定期昇給延伸による未払金 八、七八四円
(イ) 本俸 七、二〇〇円
(ロ) 暫定手当 七二〇円
(ハ) 調整額 八六四円
原告瀬出井は昭和四〇年七月一日定期昇給により本俸が四等級三号一万四、七〇〇円から同等級四号一万五、三〇〇円に昇給し、これに伴つて暫定手当も四等級三号八二〇円から同等級四号俸八八〇円に昇給し、調整額も月額七二円増額すべきところ停職処分を受けたことを理由に一年間昇給を延伸されたので、右の差額が生じた。
(3) 昭和四一年七月分から同年一二月分までの定期昇給延伸による未払金 五、七三六円
(イ) 本俸 四、八〇〇円
(ロ) 暫定手当 三六〇円
(ハ) 調整額 五七六円
原告瀬出井は昭和四一年七月一日定期昇給により本俸が四等級四号一万五、三〇〇円から同等級五号一万六、一〇〇円に昇給し、これに伴つて暫定手当も四等級四号八八〇円から同等級五号九四〇円に昇給し、調整額も月額九六円増額すべきところ、前記のように、昇給を一年間延伸されたことにより、同日本俸、暫定手当が同等級第三号から四号に昇給し、調整額もこれに伴つて増額されたにとどまるから、右差額が生じた。
(4) 夏期一時金二、四八四円
原告瀬出井は昭和四〇年夏期一時金につき、原告山本と同じ理由により、同一割合の支給を受けたにとどまり、右差額が生じた。
(三) 原告佐藤美智子 六万五、二八五円
(1) 復職までの未払分 五万一、二二四円
(イ) 本俸 四万〇、三九二円(当時の本俸四等級四号一万五、三〇〇円)
昭和四〇年二月分 一万五、三〇〇円
三月分 一万五、三〇〇円
四月分 九、六九二円
(ロ) 暫定手当 二、三二四円(四等級四号八八〇円)
昭和四〇年二月分 八八〇円
三月分 八八〇円
四月分 五六四円
(ハ) 調整額 四、八四八円(本俸の一二パーセント一月一、八三六円)
昭和四〇年二月分 一、八三六円
三月分 一、八三六円
四月分 一、一七六円
(ニ) 通勤手当 二、三四〇円(一月九〇〇円)
昭和四〇年二月分 九〇〇円
三月分 九〇〇円
四月分 五四〇円
(ホ) 一律給 一、三二〇円(一月五〇〇円)
昭和四〇年二月分 五〇〇円
三月分 五〇〇円
四月分 三二〇円
(2) 昭和四一年一月分から同年一二月分までの定期昇給延伸による未払金 一万一、四七二円
(イ) 本俸 九、六〇〇円
(ロ) 暫定手当 七二〇円
(ハ) 調整額 一、一五二円
原告佐藤は昭和四一年一月一日定期昇給により本俸が四等級四号一万五、三〇〇円から同等級五号一万六、一〇〇円に昇給し、これに伴つて暫定手当も四等級四号八八〇円から同等級五号九四〇円に昇給し、調整額も月額九六円増額すべきところ、停職処分を受けたことを理由に一年間昇給を延伸されたので、右差額が生じた。
(3) 夏期一時金 二、五八九円
原告佐藤は昭和四〇年夏期一時金につき、原告山本と同じ理由により同一割合の支給を受けたにとどまり、右差額が生じた。
(四) 原告倉持佳子 一六万六、四六八円
(1) 調整額、職務手当以外の復職までの未払分 九万九、〇三七円
(イ) 本俸 九万〇、五九六円(当時の本俸三等級一四号三万一、九〇〇円)
昭和四〇年二月分 二万四、二四四円
三月分 三万一、九〇〇円
四月分 三万一、九〇〇円
五月分 二、五五二円
(ロ) 暫定手当 五、九一二円(三等級一四号二、〇八〇円)
昭和四〇年二月分 一、五八一円
三月分 二、〇八〇円
四月分 二、〇八〇円
五月分 一七一円
(ハ) 一律給 一、四二〇円(一月五〇〇円)
昭和四〇年二月分 三八〇円
三月分 五〇〇円
四月分 五〇〇円
五月分 四〇円
(ニ) 扶養手当 一、一〇九円(一月四〇〇円)
昭和四〇年二月分 三〇九円
三月分 四〇〇円
四月分 四〇〇円
(2) 昭和四一年一月分から同年一二月分までの定期昇給延伸による未払金 一万〇、〇八〇円
(イ) 本俸 九、六〇〇円
(ロ) 暫定手当 四八〇円
原告倉持は昭和四一年一月一日定期昇給により本俸が三等級一四号三万一、九〇〇円から同等級一五号三万二、七〇〇円に昇給し、これに伴つて暫定手当も三等級一四号二、〇八〇円から同等級一五号二、一二〇円に昇給すべきところ、停職処分を受けたことを理由に一年間昇給を延伸されたので、本俸および暫定手当において右差額が生じた。
(3) 調整額 二万九、〇九〇円
(イ) 昭和四〇年二月分 二、九一〇円
三月分 三、八二八円
四月分 三、八二八円
原告倉持は従来調整額としての本俸の一二パーセント月額三、八二八円を支給されていたところ、昭和四〇年二月は九一八円の支給を受けただけで、三、四月は全然支給されなかつた。
(ロ) 同年五月分 二、六五五円
原告倉持は同年五月一日、二日調整額の支給を受けず、二日復職するも医事課に配転されて、調整額も本俸の四パーセントに減額され、同月は一、一七三円の支給を受けたにとどまるから右差額が生じた。
(ハ) 同年六月分から同年一〇月分までの本俸の四パーセントに減額されたことによる差額金
一万二、七六〇円(各月二、五五二円)
(ニ) 同年一一月分 一、九五七円
原告倉持は同年一一月二四日病棟勤務に戻され、調整額も本俸の一二パーセントに戻つたが、その前日までは四パーセントの支給にとどまるから右差額が生じた。
(ホ) 昭和四一年一月分から同年一二月分までの昇給を延伸されて算定されたことによる差額金一、一五二円(各月九六円)
原告倉持は同年一月一日前記のように昇給すべきところ、一年間これを延伸されたので前示の差額が生じた。
(4) 職務手当 二万二、七六〇円(昭和四〇年二月分の未払金七六〇円と同年三月より昭和四一年一二月までの分)
原告倉持は主任看護婦として一月一、〇〇〇円の支給を受けていたところ、昭和四〇年二月分として金二四〇円の支給を受けただけで、停職期間中その支給を受けず、同年五月二日復職と同時に主任としての職務を解かれ、右手当を支給されなくなつたが、原告山本につき述べたと同じ理由により被告は右手当を支給すべき義務がある。
(5) 夏期一時金 五、五〇一円
原告倉持は昭和四〇年夏期一時金につき、原告山本と同じ理由により、同一割合の支給を受けたにとどまり、右差額が生じた。
(二) 被告の給与の支給日は毎月二五日であり、被告は各原告に対し別紙各原告の差額金計算表記載の毎月別差額金記載のとおりの金員の支払を遅滞しているものであるから、支給日の翌日である各該当日の二六日以降民法所定年五分の割合による遅延損害金、また夏期一時金についてはその支給日の翌日である昭和四一年一〇月一日以降同法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をなす義務がある。
よつて、原告らはそれぞれ請求の趣旨(二)ないし(四)の判決を求める。
(被告の主張に対する答弁)
(一) 被告の主張原告らの懲戒事由の項のうち、(一)は認める。ただし、定床数は届出定床数であり、清澄病棟上の患者数は一二名である。同(二)につき、冒頭より「野口総婦長が高尾病棟勤務者の勤務予定表を作成し、原告山本らに対しこれに基づく勤務を指示した。」までの事実のうち榛名病棟の他の一人が一月二〇日より長期病欠の予定であつたこと、一月二〇日外科病棟上の看護婦に対し同月二五日以降筑波病棟で勤務するよう命じたことは不知。外科病棟下の看護婦四人のうち二人が退職を願い出ていたこと、病院側が外科病棟上の勤務室の廃止につき患者療友会の協力を得て患者の説得にあたつたこと、原告瀬出井、同佐藤が一月二三日配転命令に従う態度を示したことは否認する。外科病棟下の看護婦の退職予定者は一人である。その余は認める(ただし、高尾病棟と夜勤を共同編成したのは清澄病棟上である。)。一月二五日以降の事実のうち、原告瀬出井、同佐藤が従前どおり高尾病棟で勤務し、原告山本が勤務予定表による勤務につかなかつたこと、被告が原告瀬出井らに対し口頭および文書で勤務替えに従うよう指示したこと、原告山本が早出、夜勤を行なわなかつたことは認めるが、その余は争う。原告山本が早出、夜勤を行なわなかつたのは、病棟の他の看護婦の相互了解と支援によるものであつて、このようなことは他の病棟の主任看護婦および一般看護婦の間でも行なわれており慣行となつている。同(三)のうち、労働組合が団体交渉において、原告山本の夜勤要員編入に反対し、高尾病棟からの配転は一人にして、他の一人を外来から出せるのではないかと提案したこと、被告が組合および原告らの提案を容れなかつたことは認めるがその余は否認する。同(四)の事実は認める。停職処分が無効であることは、先に詳述したとおりである。同(五)のうち、高尾病棟の主任の補充には原告倉持以外に適当な者がいなかつたことは不知、同原告が、被告主張のように述べて高尾病棟での勤務を拒んだことは認めるが、配転命令に従わなかつたことについては前述の如く正当な理由がある。被告がその主張の就業規則の条項を適用して同原告を停職処分に付したことは認めるが、その無効であることは前述のとおりである。なお、被告は右処分をするにつき地方懲戒委員会の答申を経ていない。
(二) 「就業規則の有効性について」の項のうち、被告があらたに就業規則を制定実施しようとしたこと、労働組合に右規則案を提示したこと、右案につき被告と労働組合とが八回に亘り団体交渉を重ねたことは認め、被告が組合の意見の概要を添付して官署への届出その他所定の手続をしたことは不知。その余は否認する。
(三) 「労働協約の失効について」の項の主張は争う。
二 被告
(本案前の主張)
本件請求の趣旨(一)の1主位的請求にかかる訴えは、確認訴訟の対象となり得ない過去の事実を対象とするものであるから訴えの利益がない。
(本案の答弁)
請求原因中、停職処分の無効確認等につき、
(一) (一)、(二)は認める(ただし、原告山本、同倉持が松籟荘病院に就職した当時、同病院は東京都社会保険協会の受託経営にかかり、「健康保険療養所松籟荘」と称していた。)
(二) 同(三)のうち、
1の就業規則が無効であるとする主張は争う。1の(A)は否認、(B)のうち、被告が昭和三八年三月二九日第八回団体交渉で審議を打ち切り、就業規則の同年四月一日からの実施を宣言したことは認めるが、その余は否認する。(C)の(イ)のうち、被告の次期協約改訂の申入れが効力を生ぜず、または撤回されたとの点は否認するが、その余は認める。(イ)の(a)は否認する。(b)のうち、労働組合と被告とが原告ら主張の内容の協定を結んだことは認めるが、その余は否認する。(c)は認める。(d)のうち、原告主張の「労使協議会」開催の申入れをしたことは認めるが、その余は否認する。(ロ)、(ハ)は否認する。(D)は否認する。
2の停職処分が労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為であることは争う。2の(A)のうち、被告が東京都より同病院の経営委託を受けたこと、労働組合が千葉県地方労働委員会に救済申立をなし、同委員会が組合の申立をおおむね認容して救済申立を発したこと(ただし、同委員会の認定事実は争う。)、昭和三九年八月太田茂男を解雇したことは認めるが、その余は否認する。原告らは、被告の行なつて来た病床の集中管理を捉えて、病床の削減、病棟の縮少というが、病床の集中管理は国の結核病床縮少政策とは全く関係なく、看護単位を縮減し、各単位毎の看護婦の配置人員を増加し、夜勤の頻度を軽減するとともに、看護密度を濃化し、内容の充実を図ることを主眼とするものであつて、労働緩和をもたらし、労働条件の改善につながるものである。(B)のうち、被告が野口総婦長を通じて原告ら主張の日時頃原告瀬出井に対して榛名病棟に、原告佐藤に対して外科病棟下に一月二五日以降、所属の高尾病棟から勤務替えすべき旨配置転換を命じたこと、野口総婦長が同月二二日原告山本に対し原告ら主張のような三人編成の勤務予定表の作成を命じたことは認めるが、その余は否認する。原告瀬出井および佐藤の勤務替えは一月二〇日決定されていたものであり、原告瀬出井には同日夕刻同人が夜勤のため出勤した際その旨通知し、原告佐藤は勤務明けで帰宅していたので翌二一日通知したのであつて、原告山本ら高尾病棟所属の看護婦の出方を伺うため、通知を前後させたものではない。(C)のうち、山本まきが病弱で早番、夜勤を免除されていたことは認める。原告山本は昭和三九年一一月ごろから早番、夜勤を命じられながら、勝手に個人交替をして右勤務に就かなかつたもので、被告がこれを同人の既得の権利として認めたことなど全くない。被告は健康上の理由以外には右勤務の免除を認めておらず、原告ら主張のごとき原告山本の家庭事情や交通事情のようなことは他の看護婦についても多かれ、少かれあるのであつて、原告山本のみがそのことの故に右勤務に就かなくてすむことにはならない。(D)は否認。(E)のうち、原告山本らおよび労働組合が病院側に配転命令の撤回を迫つたこと、病院側は看護婦三名による高尾病棟の勤務予定表を作成し、原告山本らに対しこれに基づき勤務することを命じたこと、同原告が家事手伝のため田舎から伯母を呼んで来ると称して休暇(ただし、一〇日間)を請求したことは認める。被告は右申出に対し一週間の休暇ならば許可する旨回答したのである。原告瀬出井、同佐藤に対する配転命令が不合理なものであるとの点は否認する。(F)は認める。(G)のうち、二月二日外来勤務の中村看護婦に対し榛名病棟に勤務替えを命じたことは認める。なお、当時外来から一名の勤務替えは人員数からみて必ずしも不可能ではなかつたが、被告は当初全体的な観点から当時の状況を勘案し、外来を除く病棟の勤務単位内で操作するのが相当と判断し、各病棟相互の「労働量のバランス」「全般的看護行政」の観点から、高尾病棟からの二名の勤務替えを決定したのである。(H)のうち、被告が二月二日野口を通じて外来の主任看護婦であつた原告倉持に対し、原告山本の後任として翌三日から高尾病棟主任看護婦として勤務することを命じたこと、原告倉持が原告山本復職までの応援としてなら配転に応ずる旨申入れたこと、被告が同月一一日原告倉持に対し配転命令に応じないものとして停職処分に付したことは認めるが、その余は否認する。(I)、(J)は否認する。原告瀬出井、同佐藤に対する配転命令は野口総婦長が各病棟における勤務の実情、患者と配置人員との関係等を勘案して看護体制の全体的均衡を考え決定したものであつて、事務職員が決定したものではない。また、勤務予定表における休憩時間が重複することによつて起る空白時間は昼食時間を互いに融通することによつて補填し得るものであり、従来そうした取扱いをして来ており、被告もこの取扱いを認めていた。(K)のうち、被告が昭和四〇年三月一日付をもつて、勤務考課に基づき保清婦九名のうちから四名を看護助手に転用し、併せて従来の保清業務から病棟清掃を除外し、残り五名の保清婦には病棟清掃を除外した保清業務を担当させたことは認めるが、その余は否認する。看護助手に転用した者のうちには労働組合員が二名おり、残りの保清婦五名中組合員は三名である。
3の停職処分が労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為であるとの主張は争う。3の(A)のうち、労働組合が一月二五日職場大会を開いて配転命令に反対し、その旨の抗議文を病院長に手交したこと、労働組合が団体交渉において原告ら主張の申入れをなして配転命令の撤回を迫つたことは認めるが、その余は否認する。(B)のうち、野口総婦長に対し看護婦総会開催の申入れがあり、同人がこれを拒絶したことは認める。右申入れは、当時の状況から、野口総婦長一人を看護婦多数の威勢をもつて強迫し、勤務替え撤回の目的を達しようとの意図によることが明らかであつたので、これに応じなかつたのである。(C)は争う。(D)は否認する。労働組合は病院の看護単位の集約の措置を強いて病棟閉鎖というのであつて、原告瀬出井らの勤務替えは病棟全体の勤務体制を考えて配置人員の適正化を図つたものであり、病棟閉鎖とはなんら関りがない。そもそも、組合員本人につき、勤務替えを拒否すべき正当な理由がない場合、組合が他の闘争の手段として、または当該勤務替えに反対の意思決定をしたことに基づき、勤務替えを命じられた組合員に対し、就労拒否あるいは従前の勤務場所での就労を指示する如きは正当な組合活動ではないから、組合の指示により配転命令を拒否した原告らの行為は正当な組合活動に該らないことはいうまでもない。
4、は否認する。
(三) 同(四)は争う。
(四) 請求原因、昇給の意思表示を求める項につき、
停職処分当時の原告らの基本給が原告ら主張のとおりであること、原告ら主張のように定期昇給が行なわれなかつたこと、その結果実際の支給額との間に原告ら主張の差額が生じていること、被告が給与規程によつて職員の給与および昇給を行なつていること、および病院の事務長が労働組合と原告ら主張の覚書を取り交したことは認めるが、原告らには右差額の請求権はない。原告らは給与規程第九条第一項の「一二月を下らない期間良好な成績で勤務したとき」に該当しなかつたので、右条項を適用して昇給させなかつたのであつて、停職処分を受けたことを理由とするものではない。また、右覚書は事務長が労働組合の強制により、病院長の権限外事項である労働時間制について作成させられたものであつて、無権限でなした無効なものである。その余の事実は否認する。
(五) 請求原因、主任看護婦の職務にあることの確認請求につき、
(一)のうち、原告山本、同倉持が夫々原告ら主張の日に主任看護婦の職務を解かれ、以来職務手当の支給を受けていないことは認めるが、右は懲戒処分ではなく、また、停職処分を理由とするものではない。
(六) 未払給与の請求につき、
原告らに対する給与の種類および停職処分当時の原告らの給与額が原告ら主張のとおりであること、停職期間中原告らに給与の支給をしなかつたこと、原告らに停職処分に伴う不支給、定期昇給延伸および夏期一時金の減額がなく、原告山本、同倉持に調整額の変更がなく、職務手当が支給されれば、原告に支給される金額が原告ら主張のとおりであり、その差額がその主張の額となることは認めるが、その余の主張は争う。停職処分、昇給延伸、調整額の変更、職務手当の不支給は適法になされ、有効なものである。また夏期一時金については、給与規程第二六条、第二七条を適用せずに、従前から労使の団体交渉による協定に基づいて支払つていたが、昭和四〇年夏期分については労働組合との間に協定が成立しなかつたので、支給しなかつたところ、その後翌年九月千葉地裁で和解が成立したので被告の回答額の限度で支給したが、原告らは停職期間中就労しなかつたので、これを四〇パーセントとして算定し、一般労働組合員より減額したのである。
(二)の被告の給与の支給日が毎月二五日であり、夏期一時金の支給日が昭和四一年一〇月一日であることは認める。
(被告の主張)
(原告らの懲戒事由)
(一) 昭和四〇年一月当時における松籟荘病院における看護体制は患者一七七人に対し看護婦六〇人、助手一九人をもつて、一一勤務単位を編成していたが、各病棟の状況は次のとおりであつた。
病棟名 定床 患者 看護婦 助手
隅田 六〇 一九 六 二
清澄下 五六 三二 七 二
清澄上 四〇 一一 三 一
高尾 五〇 一四 五 一
つくば 六〇 三六 七 二
榛名 六五 一九 六 二
赤城 三五 一六 六 一
組合 三六 一八 五 一
外科下 四四 六 四 一
外科上 四〇 六 二 一
外来 三
中材 二
休職者 二
総婦長、看護科長 二
(二) ところが筑波病棟の看護婦七名のうち、一名が一月中に退職予定で同月初めより欠勤しており、実働人員は六名で、前年一二月末より三人欠けた状態であり、榛名病棟は重症患者を収容しているうえ、看護婦六名のうち、一人が退職予定で一月初めより欠勤し、他の一人が健康上の理由から欠勤がちで一月二〇日より長期病欠の予定で、実働人員は四人となり、また、外科病棟下は看護婦四人のうち二人が予ねて退職を願い出て欠勤がちであつたため、いずれも早急の補充を必要としていた。病院側は昭和三九年一二月頃から外科病棟上の患者を同病棟下に移床して同病棟上の勤務室を廃止することを検討していたが、昭和四〇年一月二五日をもつてその実施を決定し、同月一一日その旨を同病棟上の患者および勤務者に対して通知し、患者療友会の協力を得て患者の説得にあたつた。同病棟上の勤務室の廃止に伴つて、併せて看護体制全体の均衡を図るため前記の補充を必要とする病棟へ看護婦の配転を行なうこととし、一月二〇日外科病棟上の看護婦二人に対し、同月二五日以降筑波病棟で勤務することを命じ、余裕のある高尾病棟の看護婦原告瀬出井、同佐藤に対し、前記の如く同月二五日以降榛名病棟と外科病棟下に勤務替えするよう命令した。
そして、一月二三日にも原告瀬出井および佐藤に対して前記の配転命令に従うよう指示したころ、同原告らはこれに従う態度を示した。一方同月二二日高尾病棟主任看護婦である原告山本に対し、総婦長野口サトより同月二五日以降の同病棟の勤務予定表を作成して提出するよう指示したが、翌二三日に至るも原告山本が従わなかつたので、同日野口は同病棟勤務者(看護婦三人、助手一人、なお夜勤は同病棟と清澄病棟下とが共同して一単位となつて行なう。)の勤務予定表を作成し、同原告らに対し一月二五日以降これに基づく勤務を指示した。
ところが、一月二五日以降、原告瀬出井、同佐藤はいずれも配転命令に従わずに高尾病棟で従前どおり勤務しようとし、原告山本は自身勤務予定表に基づく勤務につかないばかりでなく、総婦長、関係病棟の主任看護婦の承諾も得ずに、ほしいままに原告瀬出井と佐藤を高尾病棟の勤務につかせ、配転を阻止した。
そこで、被告は連日、口頭および文書で同原告らに対し繰返し、配転命令に従い、勤務予定表により勤務するよう命令する一方、労働組合にも団体交渉の席上配転を必要とする事情を説明した。被告は従来より職員の早出、夜勤の免除は健康上の理由以外には認めていないが、原告山本は病院の許可なく野口総婦長らの指示に背き、他の労働組合員との話合いで早出、夜勤につかなかつた。同原告はこれを恰も当然の権利の如く主張して、原告瀬出井らの勤務替えに伴い、他の主任看護婦と同様に夜勤要員に編入されたことを不満とし、勤務予定表に従わない態度を固持したのである。
(三) 労働組合は団体交渉において、原告山本の夜勤要員編入に反対し、高尾病棟では看護婦三人の勤務予定表が組めないとの理由で、同病棟からの配転は一人にして、他の一人を外来から出せるではないかと提案したが、病院側は当時の状況を勘案し、外来を除く病棟内の勤務単位相互間での配転操作を適当と判断し、かつ、原告山本の主張する免脱の理由は単なる口実にしかすぎず、夜勤免脱を当然のこととして、病院の行う勤務編成に反対し、これに従わない行為は全体の看護体制を紊すことになるので、組合および同原告らの提案を容れなかつた。
(四) 原告山本、同瀬出井、同佐藤は二月二日になつても配転命令に従わず、また勤務予定表に基づく勤務につかなかつたので、被告は同原告ら三名の所為が病院長の命令に違反し、看護科の組織的な業務体制を混乱させたものとして、同日地方懲戒委員会の答申に基づき、二月二日同原告らの行為は就業規則第五三条第一、二号に該当するとし、第五四条により同月三日付をもつて各七五日間の停職処分に付したのである。
(五) 原告山本を停職処分に付したため、高尾病棟に欠員が生じたので、被告は外来主任看護婦であつた原告倉持に対して二月二日原告山本の後任として同病棟主任看護婦として翌三日より勤務するよう命じた。当時外来は病気欠勤していた菅野谷婦長が回復して出勤しており、他に中村、浪木両看護婦がいたので、原告倉持を出しても支障がなく、かつ同原告のほかには高尾病棟の主任の補充として適当な者がいなかつたのである。ところが、同原告は同月一〇日になつてもなんら正当な事由がないのに、病院側の再三の指示にも拘らず、配転命令に従わなかつた。同原告は応援としてなら行くが、主任としては応じられないと、拒否したのであるが、原告山本が停職期間経過後、高尾病棟の主任看護婦として復職するとは限らないのであるから、拒絶する理由とはならない。
被告は、右原告倉持の所為が病院長の命令に違反し、看護科の組織的な業務体制を混乱させたものであるとして、同日地方懲戒委員会の答申に基づき、同原告の行為は就業規則第五三条第一、二号に該当するとし、第五四条により同月一一日付をもつて同原告を八〇日間の停職処分に付したのである。右処分が原告山本らより重いのは同原告には従前業務命令違反の事実があつたのでこれを勘案したからである。
なお、労働組合の就労拒否の指令が正当な限度を超えた組合活動であることは前述のとおりであり、これに従つたとする同原告の行為が正当な組合活動でないことは明白である。
(就業規則の有効性について)
被告は松籟荘病院従業員の服務体制の規律化を図るため、昭和三八年四月一日付で、あらたに就業規則を制定実施することとし、同年二月八日労働組合および病院職員全員に対し就業規則制定の趣旨を示し、各職場に就業規則案を掲示するとともに労働組合に対し、右案につき意見を求めた。組合はこれに対し労働条件が引下げられるとして反対の態度を示したので、被告は同月二二日全従業員に対し就業規則案の説明会を催し、同月二五日組合と団体交渉を行ない、右案に対する意見書の提出方を要請し、その後も意見を徴するため三月四日以後七回に亘り団体交渉を重ねたが、組合は組合の全面的同意のない就業規則の制定には絶対に反対であるとの態度を固執し、スト権を確立し、審議を引延し、三月二九日の団体交渉において意見書の提出を拒否する旨表明した。そこで、被告は已むを得ず、組合の意見の概要を添付して労働基準監督署への届出その他所定の手続を経て同年四月一日より就業規則を実施した。このように被告は組合の意向を尊重して八回に亘り団体交渉を重ねたが、その間就業規則の制定につき、これを団交事項として組合との団体交渉によつて審議決定する旨を組合と約束したことはない。以上の次第で就業規則は有効であつて、原告らに対し拘束力を有する。
(労働協約の失効について)
昭和三四年七月一一日被告と労働組合との間で締結された労働協約はその後一部改訂を経て、昭和三七年三月三一日までを有効期間として存続して来たところ、被告は同協約第一四二条第一項により有効期間満了一月前である昭和三七年二月二八日次期協約につき改訂申入れをなしたが、その改訂の協議が協約所定の二月の自動延長期間内に成立しなかつたので、第一四二条により協約は昭和三七年五月三〇日限り失効したものである。
被告と組合との間で同年五月一七日成立した「労働協約の一部を改訂する協定」は、組合から昭和三六年一〇月一六日要求のあつた賃上げ問題につき交渉が妥結したのに伴い、従来組合員たる職員の給与額その他の基準となつていた労働協約の別表の給与表を変更したものにすぎず、労働条件の一部変更の協定が従前の労働協約所定の基準を改訂する形式表現をとつたとしても、これをもつて労働協約全体の存続を前提としたものとの推論は成り立たない。したがつて、右協定の成立は次期協約改訂の申入れとなんら矛盾するものではなく、これをもつて次期協約改訂の申入れの撤回とみるべきではない。
次に、協約の自動延長期間後においても、毎月の賃金、夏期一時金の算定基準等の給与条件について、従前の労働協約所定の基準によつたのは、協約失効後においても新たな労働協約の締結または個別的な労働契約の変更の合意のない限り、それが労働契約上当然の取扱いであるからであつて、これをもつて、従前の労働協約の存続を前提とするとの立論はあたらない。
さらに、昭和三七年一一月二一日被告が組合に対して「労使協議会」開催の申入れをなしたのは、昭和三七年度末の一時金要求に対する被告側の回答案提示のため労使の会合を申し入れた際の通知が「労使協議会開催申入」となつていたというにとどまり、協約の規定によつたものではない。
以上の次第で、前記の措置はいずれも協約の存続を前提とするものではないから、これらをもつて協約が有効に存続しているものとすることはできない。
第三証拠<省略>
理由
第一停職処分無効確認について
一 原告ら四名は、被告が原告らに対してそれぞれ昭和四〇年二月三日付および同月一一日付でなした停職処分の無効確認を求めている。しかし、確認の訴えは、特別の規定のない限り、現在の具体的な法律関係の存否を対象としてのみ許されるところ、前記の各停職処分は各原、被告間の法律関係の発生、消滅等の前提となる過去の法律事実にすぎないのであつて、法律関係そのものではなく、また、特別の規定もないので右訴えは却下する。
第二停職処分を受けたことがないことの確認について
一 次に、原告ら四名の前記の各停職処分により停職となつたことがない松籟荘病院職員であることの確認を求める予備的請求は現在の具体的な法律関係の存否の確認を求めるものと認められるので、以下この請求について判断する。
原告山本、同瀬出井、同佐藤、同倉持がいずれも被告経営にかかる結核治療を専門とする松籟荘病院の職員で、原告山本および倉持は看護婦、同瀬出井および佐藤は準看護婦であり、昭和三九年一、二月当時、山本、瀬出井、佐藤は高尾病棟に、倉持は外来に勤務し、山本、倉持は主任看護婦の地位にあつたこと、原告ら四名が労働組合員であること、被告が病院長事務取扱山口寛人により同原告らに同病院就業規則第五三条第一、二号(「一、法令、この規則その他病院の諸規程に違反したとき。二、職務上の義務に違反し、又は職務を怠つたとき。」)所定の懲戒事由に該当する所為ありとして、原告山本、同瀬出井、同佐藤に対し昭和四〇年二月二日、同月三日付辞令書の交付をもつて、同日以後七五日間の各停職処分に付し、原告倉持に対し同月一一日、同日付辞令書の交付をもつて同日以後八〇日間の停職処分に付したことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第二一号証および証人渡辺孝の証言によれば、右各停職処分は就業規則所定の地方懲戒委員会の審査を経てなされたものであることが認められる。
二 まず、停職処分の根拠となつた就業規則が有効に成立し、原告ら労働組合員に対し拘束力を有するかを判断する。
(一) 原告らは、就業規則の作成について、被告は事業場の過半数の労働者で組織する労働組合または労働者の過半数を代表する者の意見を聴いておらず、また常時これを病院内の見易い場所に掲示するなどして周知させていないから無効である旨主張するが、意見の聴取は、就業規則の作成・変更の有効要件ではないし、周知は、従業員に適宜な方法により周知させればその義務をつくしたことになるのであつて、労働基準法第一〇六条第一項は例示的に周知方法をあげたものと解すべきところ、被告が就業規則制定に先立ち昭和三八年二月組合に右規則案を提示し、右案につき八回に亘つて組合と団体交渉を重ねたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第五六号証、乙第三〇、第三一号証、証人高田全司の証言により原本の存在および成立を認める乙第二八号証の一ないし五に右証言、証人渡辺孝、太田茂男(第一、二回)の各証言(証人太田の証言については後記信用しない部分を除く。)を総合すれば、当時労働組合は職員の過半数をもつて組織されていたこと、被告は同年二月八日頃組合に右案を提示し、同月二五日までに意見書の提出を求め、同時に各病棟の主任などにも右案を配布した後、組合の要望により同月二〇日頃全職員に配布し、同月二八日全職員を集めて説明会を開催したこと、被告は労働組合と就業規則の制定につき団体交渉を重ね、右案につき逐条説明し、組合と討議したが、組合が右案に全面的に反対で、意見書の提出をしないものであることが明らかであつたので、三月二九日の第八回の団体交渉を最後に、第三五条までの討議で交渉を打切り、同年四月一日組合の意見を要約した書面を添付して就業規則および付属規程を労働基準監督署に届出たことが認められ(右認定に反する証人太田の証言(第一、二回)は前掲証拠に対比してたやすく措信できない。)、右によれば被告は就業規則の作成につき労働基準法所定の前記手続を履践したといえる。
また、原告らは被告は団体交渉において問題点を逐一審議したうえで就業規則を作成する旨の労使間の協定に違反し、審議を中途で打切つたものであるから、審議未了のまま作成された就業規則は無効であると主張し、前掲太田証人の証言中には右主張に副うとみられる供述部分があるが、前認定の事実および前掲高田証人の証言と合せ考えれば、病院側は規則案を団体交渉で検討したいとの組合の要望を容れ、組合の意見を聴く方法として団体交渉を開いたのであつて、問題点を審議し終えてからでなければ就業規則を作成しないことを約束したものではないことが認められ、他に右の如き協定がなされた事実を認めるに足りる証拠がないから、右主張は採用しない。
(二) 次に原告らは昭和三四年七月成立の労働協約が有効に存続するものであるとして、就業規則の懲戒に関する規定は労働協約の規定および協約付属の賞罰委員会規則に抵触し、無効であると主張する。
1 被告と組合との間に昭和三四年七月労働協約が締結され、その有効期限が昭和三七年三月末日であること、被告が有効期限前の同年二月二八日協約第一四九条第一項に基づき次期協約につき改訂の申入れをなしたが、両者間に改訂についての団体交渉が行なわれず、次期協約が成立するに至らなかつたことは当事者間に争がなく、右事実と成立に争のない甲第七〇号証によれば、第一四二条により協約はその期間満了日である同年三月末日から起算して二か月目である同年五月三〇日の経過をもつて失効したことになる。
2 原告らは被告の右申入れは「書面を以つて改訂事項および理由を相手方に通知しなければならない」と定めた協約第一四〇条第二項に依拠したものではないから協約改訂の申入れとはならない。仮に改訂申入れの効力があるとしても被告は具体的な提案、協議をしなかつたので、右申入れを撤回したものである、と主張する。なる程、成立に争いのない甲第七六号証(乙第三二号証と同じ)によれば、右申入れの文面は「松籟荘と組合との間に締結の労働協約は本年三月三一日をもつて有効期間満了につき次期協約については同協約第一四一条第一項に基き改訂いたしたいので通知いたします、追つて改訂内容については改めて協議いたしたので為念申添えます」というものであつて、改訂事項および理由の記載はなく、前掲高田、太田(第二回)各証人の証言によれば、その後被告は春期闘争の対策に追われて組合に対し右につき書面の提出をせず、具体的な提案をなす道もなく、一回の協議も行なわずに有効期間を経過したことが認められる。しかし、前掲甲第七〇号証によれば、右第一四〇条第二項は、協約の有効期間中に当該協約の一部または全部の改訂を申入れる場合の規定であつて、本件のように期間満了により失効する場合の次期協約についての規定ではない。現行の協約が失効する場合に締結される次期協約は新協約であるから、第一四〇条第一項が改訂の文言を使用してはいるが、それは新協約締結の申入れの趣旨であることが明らかである。したがつてそれについて改訂事項および理由というものはありえないし、また第一四〇条第一項が相手方に新協約で協定すべき事項を通告すべきことを定めていない以上、被告が組合に対し、その通告をしなかつたからといつて前記申入れが効力を有しないということはできず、被告は前認定のような事情により協議を行う道がなかつたのであるから、このことによつて被告が協約締結の申入れを撤回したものとすることはできない。
また、原告らは、被告が労働組合と労働協約の一部を改正する協定を結んだこと、就業規則実施までは労働協約の定めるところに従つて職員の給与の支払をしたことおよび労働組合に対し労使協議会の開催申入れをしたことによつても被告が労働協約の存続していることを認めていたことは明らかである、と主張し、被告が組合と昭和三七年五月一七日「労働協約の一部を改正する協定」を結んだこと、右協定は労働協約所定の給与改訂を行う内容のものであること、被告が就業規則を実施した前日である昭和三八年三月三一日まで毎月の職員の給与を右協定の定めに従つて支給し、昭和三七年夏期一時金を協定所定の給与を基準として計算のうえ支給し、同年九月右給与に則つて給与の不均衡是正を実施したこと、被告が同年一一月二一日組合に対し労使協議会開催の申入れをしたことは当事者間に争いがない。
しかしながら、(a)、成立に争のない甲第七七、第八六号証(乙第三四、第三三号証と同じ)と前掲高田証人の証言を総合すれば、前記の労働協約の一部を改訂する協定は組合からの昭和三六年一〇月一六日付協約改訂申入れ書に基づき労使の交渉によつて妥結成立したものであるが、当時病院の職員には給与規程(乙第二三号証)は適用されず、労働協約により定められた基準によつて給与の支給がなされていた関係上給与の改訂は右基準を改正することによつて行うことを要したため、右協定が締結されたものであること、および協定の当時労働協約の法定有効期間は経過していたが、次期協約改訂申入れによる二か月の自動延長期間中であつたことが認められる(右認定に反する証拠はない)から、右協定締結の事実は、自動延長期間経過後も労働協約が効力を持続したことを肯認する資料とするに足りない。(b)、成立に争いのない甲第七八、第八〇号証、乙第二三号証と前掲太田(第二回)、高田各証人の証言によれば、被告は、労働協約は自動延長期間の終了により失効したものとする見解に立つていたのであるが、就業規則の施行期日である昭和三八年四月一日までは準拠すべき職員の給与基準がなかつたので従前の例に倣い、右協定の基準に従つて給与の支払をしたものであることが認められるところ、継続的な法律関係である労働関係において、賃金のような基本的労働条件は、労働協約失効後も特別の事情のない限り、従前の労働契約の内容が基準となるものと解するを相当とするので、右協定の基準に従つて給与の支払をなした事実は、労働協約存続の論拠とはなしえない。(c)、前掲太田(第二回)、高田各証人の証言によれば、被告は労働組合の冬期一時金の支給についての要求に対し、前記労使協議会開催の申入れをしたものであることおよび病院においては従来夏期および冬期一時金の支給については、団体交渉によつて決定するのが慣しとなつていたことが認められるところ、労働協約(甲第七〇号証)は労使協議会の設置および関係事項を規定しているのに対し、就業規則(乙第二一号証)はこれに関する規定をおいていない点からすれば、被告は労働組合に対し労働協約の規定による労使協議会の開催を申入れたものとみられないでもないが、右高田の証言によれば、病院は団体交渉と労使協議会との区別を明確に意識せず、就業規則が労使協議会の規定を設けていないことなど念頭になく、ただ団体交渉という対立形式を避け、協議によつて決めるのが好ましいと考え、右申入れをなしたものであることが認められ、また、労使協議会なるものは企業内において、団体交渉の事前の手続あるいは苦情処理ないし従業員の経営参加の場として設けられているのが一般であり、成立に争のない乙第二七号証によれば、右申入れ書には労働協約の条項を掲げていないのでこれらの事実と対比すれば、前記事実をもつて、労働協約の存続していたこと、あるいは被告が労働協約の存続を是認していたことを推認する資料とするに足りない。
そうすれば労働協約は第一四二条所定の自動延長期間を経過した昭和三七年五月三〇日限りで失効したものといわざるをえない。
(三) 原告らは、労働協約の懲戒規定は労働協約失効後もその余後効により、あるいは、右規定で定められた事項が個々の労働者の労働契約にとり入れられていることにより、組合員の労働条件となつたのであると主張する。しかし有効期間の経過により労働協約が失効するのは当然であつて、失効後もその効力を保有するとは考えられない。尤も懲戒は人事に関する事項ではあるが、一面労働者の待遇に関する事項でもあるから、労働協約に規定されていれば、協約失効後も一応それが個別的労働関係規制の基準となるといえるが、それは新たに懲戒条項が定められるまでの基準にすぎない。ところで、懲戒処分の如き賞罰に関する人事は、使用者が経営秩序を形成、維持する権限および責務に基づいて行われるもので、本来使用者の権能に属し、労働契約の直接の効果として行使される性質のものではないから、使用者は就業規則により、企業秩序の維持、業務の正常な運営に必要な限度において、失効した労働協約の懲戒条項と異る懲戒規定を設けることができるものと解するを相当とする。そして被告が作成した就業規則(乙第二一号証)に定める懲戒事由および懲戒の種類程度は右必要の限度を超えるものではないから、就業規則の懲戒規定は原告ら組合員に対し効力を有し、被告は右規定を適用して原告らを懲戒することができるものというべきである。
(四) そして、被告が野口総婦長により、高尾病棟勤務の原告瀬出井に対して昭和四〇年一月二〇日午後四時頃、原告佐藤に対して翌二一日午前一〇時頃、前者には榛名病棟に、後者には外科病棟下に、いずれも同月二五日より勤務すべき旨配転命令を発し、同月二二日原告山本に対し、右瀬出井、佐藤を除外した残留者を要員として同月二五日以降一週間分の高尾病棟の勤務予定表を作成して提出するよう指令したが、同原告がそれに従わなかつたこと、そこで右野口が翌二三日同病棟勤務者の勤務予定表(同病棟の要員は看護婦三人、看護助手一人。ただし夜勤は同病棟と清澄病棟上の勤務者が一単位となつて行なう。)を作成し、同原告らに対し右予定表により一月二五日より勤務することを命じたこと、原告瀬出井、同佐藤は配転命令に従わずに、二五日以後も高尾病棟の看護業務に従事し、右両名および原告山本は右配転命令および勤務予定表による勤務を拒否し、病院に無断で従前どおり五名の看護婦による勤務体制をとり、原告山本は早番、夜勤をしなかつたこと、病院の管理者は連日口頭および文書をもつて原告ら三名に対し、配転命令および勤務予定表によつて勤務すべき旨ならびに原告山本に対し早番、夜勤をするよう命じたが、同原告らが右命令に従わなかつたこと、被告が同原告らの右行為は就業規則所定の懲戒事由に該当するとして前記の如く同年二月二日停職処分に付し、同日野口総婦長により外来の主任看護婦であつた原告倉持に対し、原告山本の後任として翌三日から高尾病棟の主任看護婦として勤務するよう命じたこと、これに対し原告倉持が同月五日野口総婦長らに右病棟の主任としてでなく、原告山本が復職するまでの間の応援として同病棟に勤務替えすることを要請し、被告の再三の指示に服さず右配転命令に従わなかつたこと、被告が同原告の右行為は就業規則所定の懲戒事由に該当するとして前記の如く同月一一日停職処分に付したことは当事者間に争がない。
そして、原告らの右各行為そのものは業務命令に背くもので就業規則の懲戒事由に該当するといえる。
四 そこで原告らの不当労働行為ないし懲戒権濫用の主張について判断する。
瀬出井、佐藤両原告に対し配転命令がなされた当時、高尾病棟には右両名および原告山本のほか、山本まき、渡辺添子の二看護婦が勤務しており、右山本まきが病弱で、早番、夜勤を免除されていたこと、被告が看護婦不足に対処するため、昭和四〇年一月二五日から、外科病棟上の患者を同病棟下に移床して同病棟上の勤務室を廃止することを決定し、同月一一日その旨を同病棟の患者および勤務者に通告し、同月二〇日同所勤務の看護婦二人に対して同月二五日以降筑波病棟に勤務替えをすることを命じたことは当事者間に争がない。
(一) まず、原告ら四名が業務命令を拒否し、それによる勤務をしなかつた経緯を調べると、成立に争いのない甲第六、第八、第九号証、乙第一九号証、原告山本本人尋問の結果により成立を認める甲第一九号証、前掲野口証人の証言により成立を認める乙第一七号証の一、一〇ないし一三、同第二〇号証の一、証人渡辺孝の証言により成立を認める乙第二、第四号証と右各証人の証言、証人藤代常夫の証言、原告山本、同瀬出井、同佐藤、同倉持各本人尋問の結果(原告山本、同佐藤各本人尋問のうち後記信用しない部分を除く)を総合すると、(イ)、原告山本は病弱の両親と二人の幼児を抱え、夫がレントゲン技師として他の病院に勤務しているうえに、自宅が遠方にあつて、早朝の出勤に間に合うような交通機関の便がなかつたため、早番勤務をするためには前夜病院で宿泊しなければならないなど早番、夜勤を困難とする家庭事情にあつた。同原告は昭和三九年一二月一日三越病棟から高尾病棟に配転になつたのであるが、婦長夜勤制が実施された同年一一月二八日より翌年一月四日までの間を除き、右家庭事情を理由に三越病棟当時から夜勤勤務をせず、高尾病棟へ移つてからは、独身の原告瀬出井と佐藤から個人的に交替してもらつて早出、夜勤をしなかつた。ところが前記の如く山本まきは早番、夜勤の免除を受けていたので原告瀬出井と佐藤が転出すれば、同病棟の早番、夜勤の分担者(ただし、前記の如く夜勤は清澄上と共同編成)は原告山本と渡辺添子の二人となり、かつ渡辺は昭和三九年暮れごろ結婚したばかりである事情もあつて、同原告は早番、夜勤をせざるをえないことになる。また、高尾病棟には看護婦のほか、看護助手一人が配置されていたが、野口総婦長の作成した勤務予定表によると、一月二五日から同月三一日までの一週間の間に、休暇をとれる者が一人だけとなり、二月一日から七日までの予定表によれば、休暇、代休のため表の上で看護婦、助手が休憩時間中勤務室に一人もいない空白時間を生じる日が三日生ずることになる。そのような事情があつて、原告山本ら高尾病棟勤務の看護婦は一月二一日朝原告佐藤の配転を知らされるまでは原告瀬出井の榛名病棟への配転に応ずる態度であつたが、原告佐藤にも配転命令が出されたので、残留の原告山本ら三名による勤務編成は不可能であるとして、翌二二日午前中夜勤を共にする清澄病棟上の主任大竹看護婦と共に野口総婦長に対し、高尾病棟の勤務は最少限看護婦四人を必要とするので同病棟からの配転を一人にとどめ、他の一人は外来などから配転するよう要請し、その後もその旨申入れ、また労働組合は、病院の右処置は高尾病棟の看護婦に労働強化を強い、夜勤のできない原告山本をして退職を余儀なくさせる意図のもとになされたものであつて、病棟閉鎖につながるものであるとして反対し、病院に対しその旨申出て交渉をなす一方、看護婦三〇人が一月二五日野口総婦長に対し原告瀬出井らの配転につき説明を求めて看護婦総会の開催を申入れたが、いずれも拒絶され、病院は右配転命令を実施しようとする方針をかえず、右原告ら三名に対し業務命令に従うべき旨を繰返し忠告した。そこで原告山本は同月二九日頃野口総婦長に対し、郷里の富山の伯母に家事を手伝つてもらつて早番、夜勤をするようにしたいから、休暇を十日とりたいと申し出たが、同人から二月一日からの勤務予定表も既に作成してあること故、右表による勤務に就き、その間に伯母に連絡しておいてその後一週間程休暇をとるようにと言われ、その時には休暇がとれなかつた。その間において労働組合は、右原告三名に対し、配転命令を拒否し、引続き高尾病棟において勤務すべき旨指示し、同原告らは、原告山本の作成した勤務予定表によつて一月二五日以後も高尾病棟で勤務した。原告倉持は原告山本とは長年の同僚であるとともに同じ労働組合員でもあつたので同原告の後任となるのは心苦しく、また同原告らに対する処分についても快からぬものがあつたので、指定された二月三日以後高尾病棟の勤務に就かず、その間同月五日以降再三、野口総婦長らに対し同病棟へ応援として行かせてほしいと申出たが容れられず、同月六日には渡辺事務長代理から高尾病棟の勤務に就くべき旨および原告山本ら三名の就労を阻止するため、同人らが同病棟に入つて来たなら、責任者として直ちに通報すべき旨警告される一方、その頃労働組合は原告山本らの停職処分に対する反対闘争体勢に入つていた。
以上の事実が認められ、右認定に反する原告山本、同佐藤各本人尋問の結果の一部は前掲証拠に対比して措信できない。
(二) 次に、被告と労働組合との関係を概観すると、被告が昭和三三年九月東京都から松籟荘病院の経営委託を受けたことは当事者間に争がないところ、成立に争いのない甲第一七、第一九号証、同第二七ないし第三四、第三六ないし第三八、第四〇ないし第四二、第四四ないし第六〇、第六八ないし第七〇号証、同第八二、第一〇九、第一一〇号証、乙第二一、第三〇、第三一号証、前掲太田証人の証言(第一回)により成立を認める甲第六二、第六三号証、高田証人の証言により成立を認める乙第三五、第三六号証に証人太田茂男、同浪木久子の各証言を総合すれば、次の事実が認められる。
被告は傘下の各病院につき独立採算制をとつているのであるが、松籟荘病院も、全国の結核治療専門の病院と同様、患者数の漸減、診療収入のあがらない長期患者の滞留等のため、経営成績が振わず、赤字が逐年累積して経営状態が悪化していた。他方、昭和二七年七月同病院の職員により労働組合が結成され、順次組合員が増加し、全職員約二〇〇人中一七〇名を超える者の加入をみ、組合長太田茂男医師の指導のもとに積極的な組合活動を行ない、昭和三四年七月被告と労働協約を締結し、これを漸次改訂し、賃金、勤務時間その他の労働条件が国家公務員に準ずる体系となり、全社連給与規程の適用を受ける被告傘下の他の病院より有利となつていた。被告は昭和三七年暮頃松籟荘病院の経営の建直しを企図し、事務長を更迭し、二名の駐在員を派遣し、病床の集中管理、看護体制の集約等による経営合理化を計るとともに、労務対策を強化し、まず、同年々末一時金(勤勉手当)につき、従前の支給率を下回る額を呈示し、労働組合がこれに反対すると団体交渉を打ち切り、一方的に支給額を決定してこれを供託し、続いて病院内の組合事務所の明渡しを要求し、組合費等の控除事務を中止した。そして労働協約の自動延長期間経過後、就業規則準則(被告が昭和三五年中に作成)に基づき就業規則案を作り、前記の如き経過を経て昭和三八年四月一日から就業規則を実施に移した。労働組合は、就業規則は勤務時間週四四時間制を採用するなど、週四一時間制を骨子として定められた労働協約による労働条件を低下させるものであるとして就業規則の実施に強硬に反対し、その後も四一時間勤務を続け、被告は賃金カツトをもつてこれに臨み、それ以来両者の対立抗争は激化した。そして被告は昭和三八年の夏期一時金についても、前同様の態度、方針をもつて臨み、決定した金額を供託した。組合は右病院の団体交渉拒否、組合事務所の明渡し要求、組合費等の控除事務中止等を不当労働行為であるとして千葉県地方労働委員会に救済申立(同委員会昭和三八年(不)第一号および第三号)をなし、これら申立事項のほとんどにつき救済命令が発せられた。その後間もなく昭和三九年六月別に職員組合が結成され同組合が病院の申出を容れ、四四時間職務制を含む就業規則に従つて勤務し、病院の再建に協力する等のことを約して被告の経営方針に協調したのに反し、労働組合が労働協約による四一時間勤務制を既得の権利として主張し、病院の提案を拒否したため、両組合員の就労態度に相違があることを理由として、被告は昭和三九年の夏期一時金および年末一時金、昭和四〇年の夏期一時金につき、労働組合員に対する支給率を職員組合員および非組合員に対するものよりも低減するほか、労働組合員に対し、昭和三九年七月から昭和四〇年四月までの定期昇給および昭和四〇年五月一日実施の給与改訂を行なわなかつた。そして前記組合事務所入口を閉鎖し、同事務所の電話の院内取継を停止し、組合費以外の月賦金、食費等労働組合のための控除事務を中止した。労働組合はこれらの行為についても千葉県地方労働委員会に救済申立(同委員会昭和四〇年(不)第二号)をなし、これら申立事項のほとんどにつき救済命令が発せられた。一方この間に入院患者は減少の一途を辿り、特に昭和三九年中にそれが著しかつたが、同時に看護婦不足の状態も慢性化していた。被告は病床の集中管理、看護体制の集約のためとして昭和三九年二月頃榛名病棟の閉鎖を発表し、労働組合と患者団体はこれを国の結核ベツト縮少政策につながるものであつて、結核治療を危うくするものであり、かつ組合弾圧、人員整理の意図のもとに行われるものであるとして反対闘争を展開した(そのため右病棟の閉鎖はとりやめられた。)が、被告は労働組合を指導して右闘争を押し進めた前記太田茂男を同年八月解雇した。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
そして、右事実に照せば、被告が労働組合および組合活動をする組合員を嫌悪していたことを推測するに難くない。
(三) 被告が原告瀬出井を榛名病棟に、原告佐藤を外科病棟下に、原告倉持を高尾病棟に配転を命じたいきさつについて検討すると、
当時、松籟荘病院の入院患者は一七七人で、在籍の看護婦六〇人(うち病棟勤務五一人)、看護助手一九人が一一勤務単位(病棟は一〇単位)に編成されていたが、病棟のうち、筑波病棟が収容患者三六人に対し、配属の看護婦七人、そのうち退職予定者一名が昭和四〇年一月初めより欠勤し、榛名病棟が重症患者一九人に対し看護婦六人のところ一名退職予定で一月初めより欠勤していたことは当事者間に争がなく、前掲野口証人の証言によつて成立を認める乙第一七号証の一ないし一四、同第一八号証と右証言および前掲渡辺証人の証言によると、右のほか筑波病棟では看護婦二名が退職を申し出で、榛名病棟では他の看護婦一人も長期療養のため休暇を申し出て一月中頃から欠勤し、しかも同病棟では昭和三九年一二月中夜間患者の容体の急変によつて、仮眠時間に看護婦が処置をとつたことが四六回もあり、外科病棟下では患者六人がいずれも重症で、そのうえ切除手術後の包帯交換を要する患者がいて看護に手数がかかるのに、看護婦四人のうち二人が退職を申し出ていたため、これら三病棟はいずれも早急に看護婦を補充する必要があつたこと、高尾病棟は看護婦四人の勤務であつたが、昭和三九年一二月下旬旭光病棟の閉鎖により同病棟の主任山本まきが配置替えになつて五人となつたうえに、軽症患者一四人がいるだけで手数がかからず、看護婦の待機時間が多く、かつ同年一二月中応急処置のため夜間起されたことはなかつた。たまたまその頃前示のように外科病棟上の勤務室を廃止することになつたので、病院ではそれを機会に前記三病棟に対し看護婦を補充することにし、野口総婦長にその配置編成を命じた。(松籟荘病院においては総婦長が看護婦配置の直接の責任者である。)右野口は各病棟の状況を検討したが、高尾以外の病棟は退職予定の者がいたり、看護密度が高い関係などがあつて、人員を割くことができず、また、当時外来には主任の原告倉持以下三人の看護婦がいて余猶があつたが、野口総婦長は当面の応急処置として補充人事を行うのが適当であるとの見地から外来を除き各病棟間の交流により充足すべく立案し、一月二〇日外科病棟上の看護婦を外科病棟下に移し、高尾病棟から原告瀬出井、同佐藤を前記のように榛名病棟、外科病棟下へ配転することに決め、原告瀬出井に対しては同日午後四時頃その旨告知し、原告佐藤および主任の原告山本に対しては、同人らが帰宅した後だつたので、翌朝その旨告知し、同月二五日より右各配転先の病棟で勤務するよう命じた。ところが原告山本、同瀬出井、同佐藤が配転命令を拒否し、配転先の病棟勤務に就かなかつたので、病院長ら病院の管理者は右原告らの業務命令に従わない行為に対し懲戒処分をもつて臨むことを決め、二月二日地方懲戒委員会を招集すると共に、原告瀬出井の補充として外来勤務の中村みよを榛名病棟へ配転し、原告佐藤の代りに三原婦長を充てて外科病棟下を補充し、なお外来には病欠していた菅野谷婦長が出勤することになつたので、原告山本の補充として外来勤務の原告倉持を高尾病棟の主任看護婦に充てた。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(四) そこで、右(一)ないし(三)の事実を対比し、原告瀬出井、同佐藤、同倉持の配転が差別待遇であるかを調べることにする。
当事者間に争のない、病院においては主任看護婦は一年毎に、一般の看護婦は三月毎に病棟と外来を合せた全体の配置替えを実施し、当時主任看護婦については昭和三九年一一月一日頃、一般の看護婦については同月二四日頃右配置替えが行われたばかりである事実に照せば、野口総婦長は、次の一般看護婦の一斉配置替えが一か月後に迫つていたので、それまでの暫定処置として補充するのを適当と考えたため、病棟とは異別の勤務体系にある外来の看護婦を中途で病棟勤務に移すことを避け、前記配転計画をたてたものであることが窺われるのであつて、その方針自体には合理的な理由があるといえる。そして(三)に認定の事実と前掲野口証人の証言によれば、外科病棟上の看護婦を外科病棟下に移し、高尾病棟から看護婦二名を手不足の病棟に出す配転は、病棟間相互の人員配置とすれば、妥当なものであつたこと、および外来から中村みよを榛名病棟へ、原告倉持を高尾病棟へ配転し、三原婦長に外科病棟下を担当させたのは、野口総婦長が原告山本、瀬出井、佐藤を除いた病棟勤務の看護婦をもつてしては、勤務編成ができなくなつたので、已むなく当初の方針を変更し、外来を含めて配置替えをせざるをえなかつたためであることが認められる。そして高尾病棟から榛名病棟および外科病棟下への配転、外来から高尾病棟への配転そのものが、当該看護婦に対する不利益な取扱いとなるものでないことは、原告瀬出井、同佐藤、同倉持各本人尋問の結果、前掲藤代証人の証言および定期的に看護婦全部の配置替えを行つてきた事実に徴し明らかであり、被告が特に原告主張のような意図をもつて原告らの配転をなしたものであることを認めるに足りる証拠はない。(この点後述参照)
尤も、原告瀬出井と佐藤が配転になれば、高尾病棟は看護婦三人、看護助手一人となつて、前示の如き窮屈な勤務体制となり、勤務予定表上休憩時間中あるいは勤務時間中誰も勤務室にいない空白時間が生ずることになるが、前掲野口、渡辺各証人の証言によれば、通常午前一一時四〇分頃までには患者に対する昼食の配膳が終るので、看護婦は正午までに適宜交替して食事を摂るのが従来の慣しとなつており、病院もそれを認めていたので、そのような方法をとることによつて、休憩時間中の空白を埋めることができ、また勤務時間中の空白部分は超過勤務や他の病棟からの応援で補充することができること、当時看護婦三人の清澄病棟上では、このようなやり方で格別の支障なく、勤務編成が行われており、また高尾病棟でもその後現在まで右同様の配置人員で賄つてきたことが認められ(右認定に反する原告山本本人尋問の結果は前掲各証拠に比照して信用できない。)るので、高尾病棟における看護婦三人、看護助手一人の勤務編成が看護体制の実情を無視し、医療看護を危うくするものとはいえない。ただ、原告山本は従前早番、夜勤をしていなかつたのに、右勤務体制になると、早番、夜勤をせざるをえなくなり、ある程度家庭生活を犠牲にしなければならなくなるが、右野口、渡辺証人の証言によれば、病院では従来から看護婦本人の健康上の理由以外には、早番および夜勤勤務を免除せず、主任看護婦についても同様の取扱いをし、原告山本が三越病棟勤務当時前記家庭事情を理由に右勤務の免除を申請したのに対しても許可しなかつたこと、同原告は右の如く不許可になつた後も、担当婦長の注意を無視して早番、夜勤をせず、そのため三越病棟では婦長らが同原告に代つて右勤務をしなければならない事態も生じ、高尾病棟においては前記の如く、原告瀬出井および佐藤が個人的に交替勤務してその穴を埋めていたことが認められるので、同原告だけを特別に取扱い、早番、夜勤をしないですむような勤務編成をすべき理由はなかつたものというべきである。また、原告倉持に対する配転命令は、原告山本ら看護婦および労働組合が原告瀬出井、佐藤両名の配転に反対し、その撤回を要求していた際になされたもので、同原告は労働組合員であり、かつ、原告山本とは長年同僚として勤務した仲ではあるが、前示の外来を含めた勤務編成をしなければならなかつた事情および同原告を高尾病棟の主任看護婦に充てた事情にかんがみれば、同原告を除外して他の主任看護婦――例えば、原告らのいうように非組合員の主任看護婦――を充てなければならなかつたものとはいえない。
したがつて、原告瀬出井、同佐藤、同倉持に対する配転命令は有効というべきである。
(五) よつて、停職処分の効力を検討する。
1 原告らは、原告瀬出井、佐藤両名の配転は、高尾病棟の勤務編成を不可能にし、同病棟勤務の看護婦の労働条件を著しく悪化させるものであり、病棟閉鎖の意図をもつてなされたものであるから、右配転に反対し、業務命令に従わなかつた原告山本、同瀬出井、同佐藤の行為は正当である、と主張するのであるが、高尾病棟における看護婦三名、看護助手一名の勤務が他の病棟より特に労働条件において劣るものではなく、原告山本が早番、夜勤を免除されたものでも、免除される理由を有するものでもないことは先に認定のとおりであり、また、前掲藤代、浪木各証人の証言によれば、被告は昭和三九年二月榛名病棟を閉鎖しようとし、労働組合の反対に遭つて取りやめたほか、同年一一月三井証券委託病棟を、同年一二月県警委託の旭光病棟を閉鎖し、次で前記の如く、外科病棟上の勤務室を外科病棟下に移し、それに続いて原告瀬出井ら二名の配転をしたことから、労働組合はこれを被告の病棟閉鎖、医療縮少方針に則つた処置であると受取り、右原告ら三名に対し業務命令拒否の指示をしたものであることが認められるが、高尾病棟が、修理の一時期を除き、現在まで閉鎖されないで患者を収容していることは、前掲野口、渡辺各証人の証言によつて認められるし、その後病棟閉鎖問題で病院と労働組合間に紛争が生じたことを窺うに足りる証拠はないので、配転命令が病棟閉鎖につながるとする右主張はあたらない。また当時、労働組合が病棟閉鎖問題あるいは配転命令につき、争議に入つていたことを認めるべき証拠もない。そうすれば、同原告らには、業務命令を拒否する正当な理由はなかつたものといわざるをえないし、労働組合の指示に従つて配転を拒否した行為をもつて、組合の正当な行為をなしたものとすることもできない。
尤も、原告山本が郷里の伯母に家事をみてもらうことにして夜勤をするようにしたいからとて、休暇を申出たのに対し、野口総婦長が許可しなかつたことはあるが、それは前述の如く、勤務予定表による一週間の勤務を終えてから休暇をとるようにと申し向けて許さなかつたものであるから、このことをもつて病院が同原告を窮地におとしいれようとしていたことを認定する資料とすることはできない。
そして、原告瀬出井、佐藤の両名が配転先の病棟勤務に就かなかつたため、看護業務に支障をきたし、病院の秩序が乱れたことは、先に認定したところから容易に推認し得られるから、原告山本、同瀬出井、同佐藤の行為は就業規則第五三条第一号および第二号に該当する。
ところで就業規則によると、懲戒処分は、戒告、減給、昇給停止、三月以内の停職、解雇の五種類であり、停職は解雇に次ぐ重い処分である。
そこで右原告らの行為が停職に価するかを調べると、
(イ) 原告山本について、同原告は以前から上司の指示に背き病院の定めを無視して早番、夜勤をせず、原告瀬出井および佐藤に対する配転命令に反対し、野口総婦長より命じられた勤務予定表を作成せず、同婦長の作成した勤務予定表によらずに、独断で五人の看護婦を要員とする勤務予定表を作成し、従前どおり瀬出井、佐藤を加えて高尾病棟の看護業務を続け、かつ右瀬出井、佐藤に自己の早番、夜勤勤務を代つて行わせたのであつて、同原告が高尾病棟の看護婦の指導、統合をはかるべき責任を有する主任看護婦であることを考え合せれば、右行為は停職処分に価するものであり、かつ、停職期間七五日は相当というべきである。被告が右処分をなすに当り、後記のような意図を有していたことは否めないが、同原告に対する懲戒においては、それが決定的な要因をなしたものとは認められないので、同原告については不当労働行為の主張は採用できない。
(ロ) 原告瀬出井、同佐藤について、原告瀬出井、同佐藤各本人尋問の結果によれば、同原告らは原告山本に対する配慮が働いて配転に反対し、原告山本ら看護婦の配転反対意見や労働組合の指示があつたので、配転先の病棟での就労を拒否したのであつて、個人的な利害、打算から出たものではないことが認められるところ、右各本人尋問の結果、原告山本本人尋問の結果および前掲野口、渡辺各証人の証言によれば、高尾病棟からの配転を一人に止め、他の一名は外来から出すようにとの高尾病棟の看護婦らおよび労働組合の要請に対し、病院側は、高尾病棟は看護婦三人で賄うことができると言うだけで、右配転の理由と必要性を具体的に説明しなかつたことが認められるので、同原告らが病院の処置に納得せず、疑念を懐いたのには無理からぬものがある。また、原告山本の早番、夜勤の不就労は看護体制および職場秩序を乱すものではあるが、同原告らは日頃勤務を共にし、指導を受けてきた原告山本の家庭事情を思い、早番、夜勤をしなければならなくなる原告山本に同情し、労働組合の指示により、配転拒否の挙に出たのであつて、この点懲戒処分に際し斟酌されるべきである。これらの事実と同原告らが準看護婦であることを考え合せれば、同原告らに対する停職処分は著しく酷に失し、懲戒権の濫用といわざるをえない。
そして、先に認定のように、病院側と労働組合との対立抗争は、昭和三八年初頃から就業規則の制定、榛名病棟の閉鎖問題をめぐつて激化し、労働委員会に対する救済申立て、訴訟の提起に及んでやまず、原告らに対する停職処分はその間になされたものであり、また、当事者間に争のない事実と前掲浪木証人の証言によれば、病院は昭和四〇年三月一日保清婦九人のうち、四人を看護助手に登用し、残りの五人に病棟清掃を除いた保清業務を担当させたが、保清婦として残された五人はいずれも労働組合員で、非組合員だけを看護助手に転用したことが認められる(右認定に反する渡辺証人の証言は信用しない。)ので、これらの事実と原告瀬出井および佐藤に対する停職処分が同人らの行為に比べて著しく重いことを合せ考えれば、右処分は、同原告らが労働組合員であることを考慮してなされたものであることを推認するに難くなく、かつこのことが右処分の決定的な要因をなしたものと解されるから、不当労働行為であるというべきである。
したがつていずれにしろ、同原告らに対する停職処分はその効力を生じないとすべきである。
2 原告倉持に対する配転命令が有効であること、同原告が右命令に従わず、二月三日以後も引続き外来で勤務したことは先に認定のとおりであり、前掲野口証人の証言によれば、同原告が配転を拒否したため、看護業務に支障を生じ、筑波病棟の野田主任看護婦を高尾病棟に配置し、筑波病棟の主任看護婦の仕事は、尾後貫婦長に兼務させて糊塗しなければならなかつたことが認められる。
同原告は前示のように、高尾病棟へは応援として行かせてほしいとの申出が容れられなかつたため、苦慮しながら、従前の外来勤務をしていたのであるが、このような事情は配転を拒否する正当な理由とはなし難く、また、次に認定の如く、同原告は労働組合から配転命令拒否の指令を受けて高尾病棟の勤務に就かなかつたものではないから、組合活動とはいえず、同原告の右行為は懲戒事由に該当するといわざるをえない。
しかし、同原告と病院側との交渉の経過をさらに調べると、前掲藤代、野口各証人の証言、同原告本人尋問の結果によれば、同原告は二月二日午前八時三〇分頃野口総婦長から、原告山本が停職になるので、翌三日から高尾病棟の主任看護婦として勤務すべき旨を申渡され、納得のいかないまま同日夕刻労働組合長藤代常夫に相談し、同人より病院とよく話をするようにと指示され、三日、四日の二日間病気欠勤して五日出勤したが、労働組合が原告山本らの停職処分に反対し、同日その反対闘争のためのスト権を確立したこともあつたので、このような処分を受けた同僚の後任となるのに心苦しさを覚え、労働組合の指示により、原告山本が復職するまで応援として行かせてほしい、それが許されないものならば、非組合員を高尾病棟に配転してもらいたいと要望したが許されず、前記の如く渡辺事務長代理から命令に従つて勤務することと、原告山本らが高尾病棟に入つて来たならば、直ちに通報すべき旨を警告されたが、その頃右山本らは就労闘争と称して高尾病棟で就労しようとし、毎日病院側と抗争していたので、同原告は組合員として、同病棟での勤務に就くことに堪えられず、労働組合を脱退して病院の命令に従うか、退職するかの二者択一の立場に追い込まれたような気分で停職処分の日までを経過したこと、その間労働組合は同原告に対し病院側との折衝を指示しただけで、積極的に高尾病棟への配転拒否を指示したことはなかつたことが認められる。右事実によれば、配転命令を受けた同原告の立場には同情すべきものがあり、病院側も同原告との話合いの過程においてそれを充分察知し得た筈であるから、これに対し停職処分に付したのは酷に過ぎ、懲戒権の濫用といわざるをえない。
そして、原告倉持本人尋問の結果によれば、原告倉持は二月六日渡辺事務長代理から、主任看護婦として高尾病棟で勤務し、原告山本らの入室を阻止するため通告すべき旨を警告された直後、三瓶医事課長より、この際組合をやめた方がよい、と言われたことが認められるので、前示病院と労働組合との紛争状況、病院の九人の保清婦に対する処遇態度等と考え合せれば、右停職処分は同原告が労働組合員であることを決定的な要因としてなしたものとみられるのである。
そうすれば、いずれにしろ同原告に対する停職処分はその効力を有しないものとすべきである。
第三定期昇給の意思表示を求める請求について
原告ら労働組合員の給与が定期昇給を含めて給与規程(乙第二三号証)によつて支給されていたこと(被告は労働組合員にも右規程が適用されると主張し、原告らは右規程の効力を否定し、組合員と被告との間に、暫定的に右規程の定めるところにより給与の支払をする旨の合意が成立し、これにより右規程で定める給与の支払を受け、定期昇給する権利を有するものであると主張するのであるが、)、右規程により、原告瀬出井が昭和四〇年七月一日、原告山本、佐藤、倉持が昭和四一年一月一日定期昇給の時期に達していたが、昇給せず、一年間延伸されたことは当事者間に争がない。原告らは「病院においては従来定期昇給が行われなかつたことはなく、年一回定期昇給を実施することは長年の慣行となつていて、労資間の規範である。それを被告は原告らが停職処分を受けたことを理由に昇給させず、一年間延伸したのであつて、懲戒処分としての昇給延伸である。しかし停職処分が無効である以上、昇給延伸処分が無効であることは明らかである。また、右処分は就業規則所定の懲戒手続を経ずになされたばかりでなく、給与規程中の昇給を定めた第九条には、懲戒処分を受けた者の昇給をさらに延伸する条項はないから、就業規則を有効とする被告の立場に立つても右処分は無効である。」と主張する。しかしながら、原告らが定期昇給する権利を有していたことを認めるに足りる証拠はなく、却つて給与規程第九条の「職員が現に受けている号俸を受けるに至つたときから、その号俸について一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときは……中略……一号俸上位の号俸に昇給させることができる。」との規定と前掲高田証人の証言によれば、病院では定期昇給の時期に達した職員全員を当然昇給させるのではなく、勤務評定を行い、特に成績不良でない限り、成績良好と判定して昇給していたものであることが認められる。そして右条項と右証人の証言を総合すれば、病院では、原告らの各昇給期に、先に認定の業務命令違反等の事実を勘案し、勤務成績不良と評定して昇給を延伸したのであつて、就業規則第五三条、第五四条による懲戒処分としてなしたものではないことが認められるから、懲戒処分であるとしてなした右請求は失当であり、棄却を免れない。
第四原告山本、同倉持が主任看護婦であることの確認を求める訴えについて
原告山本と倉持が主任看護婦であつたこと、原告山本が昭和四〇年四月一九日、原告倉持が同年五月二日復職したのを期にいずれも主任を解任され、以来月額一、〇〇〇円の職務手当を支給されていないことは当事者間に争がない。原告らは右解任および職務手当不支給は懲戒処分であると主張し、同原告らが病院の主任看護婦の地位にあることの確認を求めるのであるが、前掲乙第二一、第二三号証、渡辺、野口、高田各証人の証言および原告山本本人尋問の結果によれば、主任は、病院の職制上一般の看護婦より重要な職務内容を有する看護婦であることを表示するものにすぎず、病院長、職員あるいは看護婦の如き特定の法律関係をもつ地位を表わすものではないから、主任看護婦の地位は確認訴訟の対象とはならないものというべきであり、右請求は却下すべきものである。
なお、右乙第二三号証および高田、渡辺各証人の証言によれば、右は懲戒処分としてなしたものではなく、病院では右原告ら復職の際、同人らの前記業務命令違反等の行為から、主任看護婦の職に就かせるのを不適当と判断して主任を解任し、それに伴い、主任という特殊な勤務環境に就いている者に対する手当である前記職務手当を支給しないことにしたものであることが認められる。
第五金員の請求について
一 被告が停職期間中原告らを就労させず、その間の給与を支給しなかつたことは当事者間において争がないところ、原告山本に対する停職処分は有効であるから、同原告は右期間中の給与を請求する権利を有しないが、原告瀬出井、同佐藤、同倉持に対する停職処分は無効なので、被告は同原告らに対しこれを支払う義務がある。
そして、停職処分当時の一か月の給与は(1)原告瀬出井が、本俸一万四、七〇〇円、調整額一、七六四円、暫定手当八二〇円、一律給五〇〇円、(2)原告佐藤が本俸一五、三〇〇円、調整額一、八三六円、暫定手当八八〇円、一律給五〇〇円、通勤手当九〇〇円、(3)原告倉持が本俸三万一、九〇〇円、調整額三、八二八円、暫定手当二、〇八〇円、一律給五〇〇円支給されていたこと、請求原因未払給与等請求の項記載のとおり、(1)原告瀬出井が二月ないし四月分につき、本俸において三万八、二二〇円少ない五、八八〇円、調整額において四、五八七円少ない七〇五円、暫定手当において二、一三二円少ない三二八円、一律給において一、三〇〇円少ない二〇〇円、(2)原告佐藤が二月ないし四月分につき、本俸において四万〇、三九二円少ない五、五〇八円、調整額において四、八四八円少ない六六〇円、暫定手当において二、三二四円少ない三一六円、通勤手当において二、三四〇円少ない三六〇円、一律給において一、三二〇円少ない一八〇円、(3)原告倉持が二月ないし五月分につき、本俸において九万〇、五九六円少ない三万七、〇〇四円、暫定手当において五、九一二円少ない二、四〇八円、扶養手当において一、一〇九円少ない三〇九円、一律給において一、四二〇円少ない五八〇円、調整額において二月ないし四月分が一万〇、五六六円少ない九一八円、五月分が従来の一二パーセントの割合で計算すれば二、六五五円少ない一、一七三円の支給を受け、職務手当としては二月分二四〇円の支給を受けただけでその後の支給をされないことは当事者間に争がなく、原告らの右給与額と実際に支給された額とを比較し、給与規程第三三条第一項、第三五条および原告瀬出井、同佐藤、同倉持各本人尋問の結果を合せて検討すると、原告瀬出井は停職期間のほか二月一日二日の分、原告佐藤は停職期間のほか、二月一日二日と四月一九日の分、原告倉持は停職期間のほか、二月五日より一〇日までと五月二日の分の各給与を控除されて支給されたものであることおよび被告は右原告らが業務命令に違反して配転先の病棟勤務に就かなかつたことを理由に、停職発令前の右各勤務日を無届欠勤としまた停職期間終了の翌日出勤しなかつた原告佐藤と倉持に対しその日を無届欠勤として処理し、右の如く控除したものであることが認められる。
右原告らが配転先の勤務に就かなかつたことを形式的にとらえれば、一種の無届欠勤といえるではあろう。しかし、同原告らはその間従前の病棟で看護業務に従事していたのであり、同原告らが配転先へ行かなかつたのは前示の如き事情によるもので、個人的な事由から出たものではないのであるから、原告瀬出井および佐藤と同様の理由で配転に反対し、同原告らを高尾病棟の勤務に就かせた原告山本が配転命令の当事者でないため、形の上で欠勤とならないというだけで出勤扱いになつているのと比較し、均衡を失するばかりでなく、右は本来業務命令違反として処置すべきものであつて、そのほかに無届欠勤扱いにする合理的な理由も必要も見出しえない。このことは原告瀬出井と佐藤が配転命令の指定する一月二五日以降配転先の病棟勤務をしなかつたのに、被告は右原告らに対し同日より同月末日までの給与を支給し、その分を、翌月控除するとか、あるいは返還を請求するとかなどの処置を講じていない事実からもいい得るのである。したがつて、被告は右原告三名に対し、前記控除した給与を支払うべき義務があるものというべきである。次に、原告佐藤、同倉持各本人尋問の結果によれば、原告佐藤は四月一九日病院に休暇届を提出して休み、原告倉持は五月二日が休日と思い出勤しなかつたものであることが認められる。そして、五月二日は日曜日である。そうすれば、病院としては、原告佐藤については特別の支障がない限り有給休暇とすべきであり、原告倉持については五月二日が出勤日にあたつていたとしても、それが長期間の停職期間が終了した翌日で、日曜日である事情(就業規則第八条によれば、日曜日は原則として休日である。)を斟酌し、有給休暇とするなど有利に取扱うのが当然であり、それをなんら調査することなく無届欠勤として給与を控除した病院の処置は不当であつて、被告は右原告らに対し右控除した給与を支払う義務があるというべきである。
したがつて、被告は右原告三名に対し、停職期間中および右に掲記の日の給与を支払わなければならない。そして、原告倉持は五月二日出勤しなかつたのであるから、翌三日主任看護婦の解任および医事課配転の辞令の交付を受けたものと推認されるところ(右解任、配転の効力については後述)、給与の面において右処置は不利益となるので、調整額については三日より本俸の四パーセントの割合となり、一日、二日は一二パーセントの割合の調整額および主任看護婦の職務手当が支給されるべきであると解するを相当とする。右により給与規程第三三条第一項に準拠して二日間の一二パーセントの割合の未払調整額を計算すれば三〇六円となり、右二日分の職務手当は八〇円となる。
そうすると、被告が支払うべき右期間の給与未払額は、原告瀬出井につき前記一の(1)の合計四万六、二三九円原告佐藤につき前記一の(2)の合計五万一、二二四円、原告倉持につき前記一の(3)のうち五月分の未払調整額と職務手当を除いたものの合計一一万二、三六三円と右三〇六円および八〇円を合算した一一万二、七四九円となる。
そして、被告の病院職員に対する給与の支給日が毎月二五日であることは、当事者間に争がない。
二 原告らは、原告らに対する定期昇給の延伸は懲戒処分であるとしてその無効を主張し、被告に対し昇給の意思表示を求めると共に、昇給延伸により生じた各給与の差額を未払金として請求するのであるが、前認定の如く、昇給延伸は懲戒処分としてなされたものではなく、昇給の意思表示を求める請求は認容されないものであり、他に原告らが右差額金を請求し得る事由の主張、立証がないので、右請求は棄却を免れない。
三 原告山本および倉持は、同原告らに対してなした主任看護婦の解任行為は懲戒処分であるとして、その無効を主張し、主任看護婦の職務手当の支払を請求するのであるが、第四において説示した如く、主任看護婦の職務にあることの確認の訴えは却下すべきものであり、右解任は懲戒処分ではなく、他に被告の右行為が無効であることを認めるに足りる証拠はない。そして同原告らは解任後主任看護婦の業務に従事していないのであるから、主任看護婦の業務をしている者に対して支給される職務手当を請求する権利を有しないことは明らかである。
四 当事者間に争のない事実と前掲乙第二三号証、高田、渡辺各証人の証言および弁論の全趣旨によれば、非組合員である職員が昭和四〇年度夏期一時金として本俸、暫定手当および扶養手当の合算額の〇・四か月分を支給されていたのに対し、労働組合員がその六割しか支給されていなかつたところ、当裁判所昭和四一年(ヨ)第二二四号事件につき成立した和解により、組合員も昭和四一年九月三〇日残りの四割を支給されたが、原告らは停職処分により勤務しなかつたので、給与規程第二七条第二項第二号所定の「在職期間が三月以上六月未満の場合」に該当するとして、右四割の支給をされなかつたことが認められる。ところで、原告山本に対する停職処分は有効であるから、被告の右処置は相当というべく、同原告は被告に対しその支払を請求する権利を有しないが、原告瀬出井、同佐藤、同倉持に対する停職処分は無効であるから、同原告らは他の労働組合員と同じ日に被告より右差額金の支払を受ける権利を有するというべきであり、その額は原告瀬出井が二、四八三円、原告佐藤が二、五八五円、原告倉持が五、五〇一円(いずれも円以下四捨五入)である。
五 原告山本、同倉持各本人尋問の結果によれば、原告山本と倉持は停職期間が終つて出勤した日から医事課勤務を命じられ、原告山本は昭和四一年三月六日まで、原告倉持は昭和四〇年一一月二三日まで同課で事務の仕事をし、看護業務に従事させられなかつたことが認められ、同原告らが右期間の調整額を、従前の一二パーセントの割合から四パーセントの割合に減額した額で支給されたことは当事者間に争がない。同原告らは右期間中の右差額の支払いを求めるのであるが、前掲高田証人の証言によれば、本件訴訟において調整額と呼んでいるものは給与規程の職務手当にあたり、被告会長の達しで定める率により支給されるもので、職員の職種によつて支給率が異なり、看護業務に従事する者に対しては一二パーセント、事務職に従事する者に対しては四パーセントの割合で支給されていることおよび同原告らが右期間中四パーセントの割合により調整額(職務手当)を支給されたのは、その間医事課において事務の仕事に従事していたからであることが認められる。そして病院が看護婦である右原告らを病棟の勤務に就かせず、医事課に配置したことの当否は別として、(したがつて、他の理由により右差額相当額の支払を請求できるとしても)同原告らは看護業務に従事しなかつたのであるから、調整額として一二パーセントの割合の金員の支払いを受ける権利はないものといわざるをえない。
第六結論
以上説示のとおりであるから、原告らの本訴請求のうち、(1)各停職処分無効の確認の訴えおよび(2)原告山本、同倉持が病院の主任看護婦の職務にあることの確認を求める訴えをいずれも却下し、(3)原告らが停職処分により停職となつたことのない職員であることの確認を求める請求については、原告山本の請求を棄却し、原告瀬出井、同佐藤、同倉持の請求を認容することとし、(4)定期昇給の意思表示を求める各請求をいずれも棄却し、(5)金員の支払いを求める請求については、(イ)原告瀬出井の請求のうち、四万八、七二二円および内金一万七、七八四円に対する昭和四〇年二月二六日より、内金一万七、七八四円に対する同年三月二六日より、内金一万〇、六七一円に対する同年四月二六日より、内金二、四八三円に対する昭和四一年一〇月一日より各完済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、(ロ)原告佐藤の請求のうち、五万三、八〇九円および内金一万九、四一六円に対する昭和四〇年二月二六日より、内金一万九、四一六円に対する同年三月二六日より、内金一万二、三九二円に対する同年四月二六日より、内金二、五八五円に対する昭和四一年一〇月一日より各完済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、(ハ)原告倉持の請求のうち、一一万八、二五〇円および内金三万〇、一八四円に対する昭和四〇年二月二六日より、内金三万九、七〇八円に対する同年三月二六日より、内金三万九、七〇八円に対する同年四月二六日より、内金三、一四九円に対する同年五月二六日より、内金五、五〇一円に対する昭和四一年一〇月一日より各完済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においてこれを認容し、右原告らのその余の請求および原告山本の請求はいずれも棄却すべきものとする。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第八九条、第九二条、第九三条を適用し、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 田中隆 渡辺昭 片岡安夫)
(別表省略)